蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

「一蘭」に行ったよ

 過日、ラーメン・ショップ「一蘭」へ行った。
 「一蘭」といえば都内の店は連日のように長蛇の列ができて多くの若者や外国人が並び豚骨ラーメンを啜らんと垂涎している店であり、私が足を運んだ店も三十分ほどの列ができていて、その半分は欧米人や、中国人をはじめとしたアジア人で占められ、店先には中国語で「この店めちゃくちゃおすすめアル。食べるヨロシ」と書かれた(私は中国語が読めないので多分そういう雰囲気だったということだが)ステッカーが貼ってあるなど、評判はかなり良いらしく、私もかねてより気になっていたので、ちょうど食事を三日してないし、昼時だし、並んだれ、ということで三十分並び、その美味を確かめようとしたわけであるが、はたして店を出た私はひどくがっかりしていた。なぜか?
 並ぶほど美味しいわけではなかった、に話は尽きればいいのだが、そういうわけではない。不味かったわけではなかったけど、何度もリピートするほど美味しかったわけでもない。一度でいいかな、並ぶくらいなら他んとこ行くし。と思ってしまうような、そんなラーメンだった。なぜそうなってしまったのか?その理由は、単にそこまで美味しいわけではないという理由以外に、店の雰囲気にこそある。

 「一蘭」は現代における人との関わり合いの心地よい距離間を徹底追及した店だ。
注文は食券方式で、店内に設置された券売機でお好みのメニューを注文する、ラーメン屋によく見るタイプである。席に着いたら食券と麺の固さなどを記入した票を店員に渡すのだが、この「席」に、私は驚いた。
 十人ほど並べるカウンター一席一席に「区切り」が設置されていて、席がブース化されているのだ。もちろんこの「区切り」は折り畳むことが可能で、友だちと来た場合はこれを畳み、顔を横に並べて食事を楽しむことができる。なるほど、こうすることで女性客や一人の客は周りを気にせずに豪快に啜れるというわけか。納得。
 ブースになっているので一人当たりに与えられるスペースは厳格に定められ、たとえば隣の客と肩が触れ合ったり、麺を手繰る際に肘鉄を食らわせ取っ組み合いになるということはあり得ない。およそ80センチの幅に自分のテリトリーを規定される。広いとは言えない。
 通路スペースも狭く、冬物のコートを掛けると他の人の通行の邪魔になるくらい狭い。まあ、これはラーメン屋ではよくあることだ。ラーメン屋の通路は概して狭い。ティッシュはスペースを活用して後ろ壁に取り付けられており、工夫が見られる。
 そんなおよそ十人が座るカウンター列が、四列ある。カウンター、調理場、カウンター、カウンター、調理場、カウンター、という具合に、調理場を挟んで四列およそ四十人が自分のテリトリーに押し込められてひしめいているのだ。なんだか息苦しいものだ。
 席の前には目の高さに壁があり、その下にすだれがかかっていて、店員が注文を取りに来る際はすだれを開けて穴から此方に腕が伸び、食券を回収する。何も言わない。すっ、と伸び、すっ、と回収し、すっ、と奥へ消える。
 開けられたすだれの奥を覗くと、十数人の店員がラーメンを手に駆け回っていた。ラーメン屋は回転率が命。人気店ともなればラーメンを手に駆け回るくらいのことはしなくてはならないのだ。それはもはや「提供」というか、「配達」と言った方が相応しいような騒がしさだった。しかし、カウンターと調理場は完全に区切られているので、騒がしさはそこまで気にならない。
 調理場を挟んだ向かいのカウンターのすだれも開いていて、屈めばそこに座る客が見える。中国人の少年がスマホをいじっているのが見えた。彼にラーメンが届けられたかと思うと、私のところにもラーメンが、穴からにゅっと腕が伸び、虚を突くように、届けられた。配達された。
 細麺、白い豚骨スープ、青ネギとチャーシュー、それから「一蘭」オリジナルの唐辛子タレが中央に載るラーメンは、まったく無駄のない、「そうそう、こういうのでいいんだよね」と言いたくなるような、非の打ちどころのない見た目をしていた。豚骨ラーメン特有の臭いはかなり抑えられていて、慣れていない人でも食べやすく、食後に口臭を心配する必要もなさそうだ。一口啜ると、細麺。
 うん、普通。
 スープは、普通(薄い)。
 タレは思いの外しっかり辛くて、注意が必要。
 ネギ、普通。チャーシュー、普通(薄い)。
 量は細麺だからかな、やや少なく感じた。
 すべてにおいて普通。特筆することもない。
 可もなく不可もなく、カップ麺のように平均的で、味気ない

 そう、「一蘭」は味気ないのだ。
 これが私に「一度行けばいいかな」と思わせた、その核心、理由である。

 ラーメン屋って、入りにくい。特に初めて行くラーメン屋は。
 店員の顔はなんだか怖いし、注文がどういうシステムかわからないし、お好みとか知らねーし、店によっては特有のルールもあって、初めての場合なかなか一人では入りにくく、特に地元の小さいラーメン屋なんて「一見さんお断り」と言わんばかりの威圧感すらあって、入るのに勇気がいる。
 入ったら入ったで隣の客の前にある水を注ぐためにいちいち「前、すんません」と言わねばならず、箸を取るために「前、失礼しやす」と言い、ニンニクを入れるために「すんません」、コチュジャンで「すんません」、ひどい人なんて、胡椒をかける際に「今から胡椒をかけますが、決してあなたにクシャミを誘発させるためにやるわけではないでありんす」と断る人もいて(いない)、それらの何が嫌かって、面識のない人と軽コミュニケーションを取らねばならず、慣れてしまえば大したことではないのだけれど、ちょっぴりちくりとする憂鬱を持つ羽目になるのだ。店員には見られるし、場合によっては「麺固め」など軽コミュニケーションを取らねばならないし、万が一無念にも満腹になってしまった場合、「すんません」と謝らなければならず、そうなると心の闇は甚だしくなって、麺で首をくくりたくもなる。
 しかし「一蘭」はそんなことない。店内は清潔だし、店員と余計な会話も必要ない。客間でのコミュニケーションは皆無だ。
 だけど、どうだろう。なんだか、区切られたカウンターに詰め込まれて注文した料理がすだれの向こうからすぐに出てきて、それを啜って、終わったら「ごちそうさま」の一言もなく帰るというのは、なんだか事務的作業のような気がしてしまうのだ。
 人々は個人的空間に篭り「配達」されたラーメンを闇雲に啜って、音もなく帰る。万人から文句が出ないように作られたラーメンは特筆する点もなく、「こだわり」とやらは誰も傷つかない代わりに誰の心も打たないように設計された「こだわり」だ。
 それなら、カップ麺でいいじゃないか。提供が3分くらいだったから、そんなに変わらん。カップ麺は家で独りで食べれるし、いいものだ。「一蘭」では狭苦しいところで作業的にラーメンを啜らねばならず、これはこれでリラックスできない。
 「一蘭」のラーメンには、店員と客、客と客、客とラーメンの間に、心の交流がない。つまらない。実に、つまらないラーメンだ。
 私はこのラーメンを、ディストピア・ラーメン、と名付けることにする。
人々は管理され当てつけのように配慮の行き届いた区切られた空間で、事務的に配達されたラーメンを啜り、出された分だけ腹に収め、店を後にする。
 「区切り」システムや提供のシステムは「一蘭」特有のもので、たぶん特許とか持ってるんじゃないかな。だから他の店は真似しようがない。よかったぁ。

 食事業務を終えて、私は店を後にした。店員の姿がないので「ごちそうさまでした」と言うべき相手も見つからなかった。皆、すだれの向こうで駆け回っているのだ。
ノン・ストレスな味気ないラーメン。大して美味くもないなら、地元の慣れたラーメン屋で、客と店員との軽コミュニケーションのストレスを抱えながら、味気あるラーメンを啜り、「ごちそうさま」と言って、「ありがとうございました!」と心地よく声をかけてもらって、店を後にしたかった。そう思った。
 「一蘭」の評価は、「味わう以前の問題」に集約される。

 ラーメンの醍醐味って、美味しさって、なんだろう。それはラーメン屋の雰囲気も大きく関わることなんじゃないか。そう考えるきっかけになった、良い経験になった。
でも「一蘭」はたしかに女性客は入りやすいし、クセの少ないラーメンだから外国人も食べやすいのではなかろうか。ラーメン・ビギナーにお薦めしたい(私はもう永訣したが)。
 でも、「一蘭」より美味しいラーメン屋は星の数ほどあることを忘れてはならない。