蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

ブックカバーについて

 レジで金子(きんす)を支払う際、コンビニやドラッグストアにおいても「カバー結構です」と言ってしまいそうになる奇妙な癖があって、言葉の先が前歯をかすめる寸前のところで思いとどまり、なんとか「袋結構です」と言い換えるのだが、そのたびに人知れず汗を掻いている。
 「カバー結構です」とは何のことだろう。
 これは、本屋のレジで言うことだ。
「カバーおかけしますか?」

「結構です」
 本屋でこの会話が一日何度されているか知ったことではないが、雑誌やムック以外の書籍では大抵そのようなやり取りがされている。
 私はブックカバーを付けない主義なので、店員に本を渡す際に先手を打って「カバー結構です」と伝えることにしていて、そのため、つい癖で、コンビニのレジでも商品を渡す際にそう言いそうになるのだ。そんな癖になるか?と思われるだろうが、事実そうなのだ。本を購入する機会が多いせいもある。他にはアホなせいもある。
「カバー結構です。袋もいりません。レシートも大丈夫です」本さえ手に入ればそれでいい。

 私は二、三年前からブックカバーを付けないことにしている。
 ブックカバーは表紙を汚れから守るためにある。表紙を汚したくない人はぜひ付けるべきだ。また、電車の中で本を読むとき、他人に何を読んでいるか知られたくない人はカバーを付けるべきだ。
 私は表紙がいくら汚れても構わないし、電車で「あ、あの人あの本読んでるんだ」と思われても一向にかまわないので、カバーは付けない。
 昔は表紙を汚したくなかったのでブックカバーを付けてもらっていて、文庫本専用の布のブックカバーもよく使っていたのだが、ある時を境に使わなくなった。それは、古本を購入しはじめてからだ。
 古本屋では文豪の文庫作品を買うようにしていて、たとえば鴎外とか太宰とか漱石とか魯迅とか、そういう昔の作品の古本は昭和前期や戦後すぐの文庫が多く、かなり安い。そして、表紙カバーがなく、煤けてボロボロである。私が持っている魯迅の作品集はなかでもボロボロで、ページをめくる際に慎重にやらないと本の背から分離してしまいそうであり、しおりの紐も根元から千切れ、おばあちゃんちの押し入れを煮詰めて濃縮還元したような臭いがする。そこまでボロボロだとカバーを付ける意味はない。こうなったらいくら汚れても構わない。
 ボロボロで、所々文字が潰れていて、変なにおいがして、ひどいときは前の持ち主が文に線を引いていたり、自分の名前を書いていたりする。古本とはそういうものだ。

 そんな古本が大好きだ。
 私はアンティーク家具やヴィンテージ・ギターが好きで、塗装が剥げて木目が見えていることに萌える。本もそれと同じで、古くてボロボロなほど、味があるというか、なんか格好良いというか、好き好き大好き超愛してる。
 だから、カバーを付けない。ボロボロ上等。はよボロボロになれ、とさえ思っている。すすんでボロボロにはしないが、不意についた多少の汚れや折れは気にならないし、よしよし、なあんて思っちゃう。
 表紙カバーも本来は中身を守るためにあり、ボロボロ上等の私は、場合によっては捨てる。どんな場合か?デザインが気に入らなかった場合である。
 本は数多くの人間がかかわって作られていて、デザイナーは苦心して表紙を作り、そうしてようやく一冊の本になる。苦心して作っていただいた表紙カバーを捨てるとはその仕事を愚弄しているように思われるかもしれないが、ひとつ言わせていただくと、作品内容に見合わない表紙をデザインするのはそれ以上にない作品への愚弄であり、それをデザインしたデザイナーは、カスだ。
 作品内容に見合っているかどうかは私が決める。独断と偏見と好みによる独裁政治で選定する。ダサ、こらあかんわ、と思ったら表紙カバーは捨てる。なんて奴だろう。
 私はひどい奴だ。私がデザイナーだったら怒る。ふざけんなと。
 怒ってください……。

 でも、しょっちゅう捨てているわけではなくて、そうするのは極稀だ。表紙を捨てた本を炎上覚悟で、この場で曝そう。

1.『虐殺器官』『ハーモニー』/伊藤計劃(ハヤカワ文庫)

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 なんでイラストなんだよ。ラノベじゃあるまいし。映画化されたからだろうか。
しかもダサい。気に入らない。一見格好良いイラストなのだが、この二つの文学作品にイラストの表紙をつけるのは違う。商業目的のイラストだ。
 古いバージョンはシンプルで格好良く、作品世界とマッチしていたのに残念だ。
 この表紙が気に入っている人はそれでいいと思うが、私は好かない。なんか違う。

 

2.『西瓜糖の日々』/R・ブローティガン河出文庫

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 ぱっと見そんなにダサくないのだけど、なんか文字がWordで作ったみたいな感じしませんか?Wordで作ったのかもしれない。一度そう思ってしまうとだんだんダサく見えてきて、アホらしくなってくる。作品内容ともマッチしているデザインとは思えない。

 

3.『走れメロス・おしゃれ童子』/太宰治集英社文庫

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 ダサい。ダサすぎる。
 この本は児童向けに作られたのだろうか?本文にルビが多いし、私も中学生の時に買ったのでそうかもしれない、が、あまりにもダサすぎる。1と2の悪いところを合算した出来栄え。
 中学生の頃これを買って、家に帰って表紙をすぐ捨てた。検索して久しぶりにこの表紙を見たけど、やっぱりダサいし、十年くらい前のことをいまだに覚えてるって、相当なことだぞ。ふざけてやがる。なんだこれ。卒業制作か?


 完全に、崇高なる独断と偏見である。傷ついた人がいたら申し訳ない。
 でもね、あのね、この四冊以外は表紙を捨ててないの。だから許して。怒らんといて。私は許してあげてる。