蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

肉筆エロ説

 過日、ペンを握って文章を書く機会があった。
 近頃はパソコンで文章を書くことが圧倒的に多いため、久々にシャーペンを握ると、あれ、こんな持ち方だったっけかしら、とまず思い、字はよれて、消しゴムで消そうにもそういえば消しゴム使うのも400年ぶりだなぁと懐かしい気持ちになったりして、そもそも書くという作業が全然捗らず、迫りくる制限時間に余裕は失われた。消しゴムちゃ~ん、なんて考えている場合ではなかった。
 そして、書くスピードが遅かった。制限時間10分で「感想文」を書けという課題だったのだが、パソコンで打ち込むよりも手を走らせるとなると速度は遅く、思考の速度に手が追い付かない。加えて疲労が徐々に蓄積し、だんだん指や腕が痺れてくる。これは筆圧が高いせいでもある。ますます字体は崩れて最終的に走り書きみたいになり、「感想文」のオチに繋げるための伏線をしっかりと張ることができなかった(感想文の伏線てなんだよ、と思われるかもしれないが、私もそう思う)。
 結局、制限時間10分でA4用紙を端まで埋めることは不可能で、四分の三ほどで力尽きてしまった。悔しい。そして、パソコンはなんて尊いマシンなんだろうと思った。パソコン作った人、えらい!
 
 その「感想文」を回し読みすることになり、何人かの文章を見た。驚いたのだが、回し読みした中では私が一番文量を書いていた。大抵は半分かそれ未満で、中には四行くらいしか書いていない人もいて、安心した。私は書くスピードが遅いわけではなかったのだ。むしろ速い方だった。
 制限時間10分の中でどう時間を割り当てるか、という問題がある。何を書くか2分で決める人、とりあえず書いてみてペンをよちよち止めながら書く人、様々だ。私は、とりあえず書き始めるタイプ。そんで、書きながら次を考えるタイプである。
 名前と日付をまずは書くが、その時点で書き出しを考えている。書き出しを書いているとき、次の文章と展開を考え、同時に、シャーペンは指が痛いなぁとか消しゴムって可愛いなぁとか思ってる。書く、考える、思う、の3つの作業を、脳を3分割して同時に行っているのだ。
 たぶん、書いているときだけIQが高い。脳の処理能力が上がる。それ以外のときはほとんど脳死しているので、その代償と考えれば別に羨ましくもないだろう。

 そういうわけで、私は書くスピードが比較的速いのだと思う。けれど、文章の魅力の本髄とは書く速度ではなく、最終的に出来上がった文章がどれだけ簡潔で要諦を掴んでいて伝わりやすく美しく面白いか、である。
 そう念頭に自分の「感想文」を読み返してみると、うん、良いじゃないか。周りの人よりずっと良い。荒さはあるけど。
 私すごーい!キャホキャホ!(自己愛が強すぎるため友だちが少ない
 
 さて、自己愛自己中心自画自賛に満足したところで本題に入るが、私は他人の肉筆を見て思った。
 肉筆、エロいな。
 自分の字を見ることも少ないのに、況や他人の肉筆を見る機会をや。ましてや面識のない、ほとんどその場限りの交流の人たちである。「え、あなたの字、見ていいんすか」と当惑して独りニヤニヤしてしまった(こうして友だちは減っていく)。
 肉筆で、しかもその人の考えたことが書かれている文章。それってもはや、あなたそのものじゃんけ、と思った。
 Wordの画一化された文字はその人の個性を表すことができない。活字化された文字は明朝体やらゴシック体やら創英角ポップ体やらで着飾られており、筆者の個性を見るにはその文章を読んで文体リズムや思想を掴まなければならない。が、肉筆はちがう。
 書かれてる文字、その一文字一文字がその人の個性なのだ。指紋や顔つきと同じものだ。二人として同じ書体を持つ者はおらず、その人にはその人の書体がある。例えば私だったら蟻迷路体とでも言おうか。肉筆はその名の通り「肉」筆であって、実にフィジカルなものだ。
 だから、人の肉筆を見たとき、なんかその人の体の一部に触れているような気がして、その人が服を脱いでいるような気がして、エロいな、と思ったのである。実にフィジカルな感覚がそこにあった。
 しかも文字の連なりによって「内容」が生まれ、その人が何を考えたか思ったか感じたかが私の脳幹に沁み込んでいく感覚は、なんだか性的な生々しさすら感じた
 さらに、私の文章を相手が読んでいる。
 ということは、それは、もはや、セックスじゃないか?そう、ほとんど、あれは、セックスだったのだ。

 私たちは回し読みをした。
 それは輪姦(まわし)読みだった。
 私は6人の男を犯した。。。

 こういうこと考えてるから友だち少ないんだろうな。