蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

カプセルの中身

 小学生時分、少食と偏食により栄養状態が悪かった私は毎朝、マルチビタミンサプリメント・カプセルを嚥(の)むことを日課としていて、「その日」の朝もカロリーメイト(フルーツ)とビタミンカプセルと水というディストピアぶりを発揮した朝食を摂っていた。
 こんなサプリメントで栄養を補えていたのか不明だが、嚥んでしばらくすると鬱金(うこんいろ)の尿(ゆばり)がびゃんびゃん放出されるさまは見ていて爽快なものであった。

 「その日」、私はカプセルをしげしげと見つめ思った。
 どうしてカプセルに入っているのか?カプセルの中身は何だろうか?中身をそのまま嚥んだらどうなるだろうか?
 小学生の好奇心とは恐ろしいもので、思い立ったが行動は早く、私はティッシュの上でカプセルを割り、中の白い粉末を取り出した。
 なあんだ。と思った。
 色のついた、赤や青の入り混じったアクアフレッシュの歯磨き粉みたいな粉末が入っていてほしかったのに、白オンリーか。つまらん。
 どうせ味の方も、刺激の無いなんの面白味もないもんだろうと思い、指でつまんで舌の上に落とした。
 
 嗚呼、どうして私は「わざわざカプセルで少量の薬品を包んでいる」理由に思いを馳せなかったのだろう。

 舌の上に落とした次の瞬間、後頭部をバットで殴られたような鈍い痛みが走り、舌が丸まって膨張し、食道が収縮し、胃が痙攣した。高電圧を浴びたのかと思った。
 粉末は、あまりにも苦かったのだ。
 あらゆる言葉を尽くしても語りえない苦さだ。体が苦味を知覚すると同時に全身を使って危険信号を発し吐き出そうと努め、視界が明滅し、脳幹が痺れ、強烈な吐き気を催した。
 私はすぐさまトイレに駆け込み、カロリーメイト(フルーツ)と水とマルチビタミンの粉末というディストピアぶりを発揮した吐瀉物(としゃぶつ)を便壺に吐き出した(吐瀉物にディストピアユートピアもない)。その勢いたるや猛烈で、十二指腸にあった消化物も吐き出さんと背中を激しく痙攣させるほどで、一日の体力を大きく消耗した。
 吐いても吐いても苦味が消えない。
 洗面台で鏡を見ると、可哀そうに、愚かな蟻迷路少年は死人(しびと)のように蒼白になって老けこみ、AKIRA』のタカシみたいになっていた。

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タカシ(『AKIRA』より)

 と、口の端からビニールみたいなものがぶら下がっていることに気付いた。質感は粘液ではなくビニールそのもので、手で掴もうとしてもぬるりとして掴めず、口を濯(そそ)いでも取れず、しかも胃のさらに奥まで繋がっているような感じがした。ビニールのロープが、体から出ているのだ。怖すぎる。スタンド攻撃か?
 喉に指を突っ込み再び嘔吐を誘ったが、もう何も出るものはなく、ビニールは無様にぶら下がったままだ。
 一生このままなんじゃないか?それで「世界丸見え!」【ビニールがぶら下がってる少年】と紹介されお茶の間に晒されてアメリカの医療チームが緊急来日、即日手術を受け番組終りに「もう二度とカプセルの中身を舐めたりなんかしないよ」とコメントし、ナレーターに「とんだお騒がせ野郎だ」と煽られるのだ。そんなの嫌だ。
 私は泣きながら慌ててティッシュでビニールを掴んだ。すると、ずるるっ、呆気なく長い得体の知れないビニール紐を臓器から取り出すことに成功した。おおお……。怖くなって、排水溝に流した。

 あのビニールは何だったのだろう。おそらく、胃とか食道の粘膜だったのではないだろうか。詳しいことはわからないが、私は無事だった。
 親に「どうかしたのか」と騒がれたが、私は「なんでもない」と取り繕って蒼白のまま学校へ向かった。なんでもないわけなかったのだが、あのビニールを説明するのが怖かったし、なにより「カプセルの中身を舐めてみたら苦すぎてしかじかの事態に陥った」と説明するのが恥ずかしく、情けなく、莫迦丸出しに思えたのだ。
 思えた、というか、完全に莫迦だった。ので、黙秘した。

 好奇心は猫をも殺す。
 カプセルの中身を絶対に取り出して舐めてはいけない。いい教訓になった。危うく死ぬところだった。とんだお騒がせ野郎だ(セルフ)。
 ディストピア朝食をオール・アウトした私だったが、「その日」は腹が減らなかった。