蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

節分の思い出

 沖縄旅行から帰ってきて、沖縄のことを書こうと思ったけど、面倒なのでやめて節分の思い出を書こうと思う。

 

 

 豆をまくと片付けが大変だ。
 うちは犬がいた頃は犬が豆を食べてくれたのだけど、犬が亡くなってから豆まきをしなくなった。片付けが面倒だからだ。

 先日、節分だったね。
 各家庭、普段は使わない方角アプリでここぞとばかりに東北東の方角を調べ、恵方巻を食べたことだろう。
 うちはなぜか蟹玉を食べた。昼頃まで母が「今夜は韓国海苔巻きにしようか」と言っていたので、蟹玉を見たときは本当に驚いた。
「なんで蟹玉なの?海苔巻きは?」
「……」
 沈黙するほど嫌なことがあったのだろうか。まったく理解できなかった。
 ちなみにうちは家族が恵方巻を苦手としているため(そんなに美味しくないし)、節分の日はゴマ油を用いた韓国風海苔巻きと決まっている。これをわかめスープと食らうと頗る美味い。

 恵方巻ってけっこう最近の文化らしくて、江戸時代からあるにはあったけど一部の風習でしかなく、現在のように全国的なものになったのは2000年代だという。
 どうせ電通あたりの広告会社とコンビニが連携して「流行させた風習」だろう。節分市場は儲かるだろうが大量の恵方巻在庫に苦しむコンビニや店員のノルマ、そして大量廃棄のことを考えると、所詮流行させた「ビジネス」でしかない、なんともさもしいものだと思う。
 本当の鬼は人間の心の中にいるのかもしれないね。だから「鬼は外」と言って鬼を追い出そうとするのだ。

 幼稚園の頃、私の通っていた幼稚園では全身赤タイツや青タイツで鬼の面とカツラを被った先生扮する鬼が幼稚園に襲来、それをいざ退治せんとする行事があった。豆まきパーティである。
 児童はやんややんやと豆をまき、鬼はうわつはつはつと右往左往し、キャーキャー言って楽しかった思い出が私には、無い。
 私は極度のビビリだった。鬼が怖くてギャン泣きしていたのだ。
 豆まきが終わり、みんなが豆を食べていた教室の外で、私は先生によしよしされながらなだめられ、鬼に扮した先生があたふたしていたのを覚えている。
 世話のかかるガキだ。

 高校生の頃、節分の日に、クラスでめちゃくちゃ豆をまいたら面白いのではないか?と誰かが言い、クラス全員、片付けは大変だがめちゃくちゃ面白そうじゃんか、となって先生が大量の豆を買ってきて、はじめ!の合図で一斉に豆を投げ合ったことがある。
 先生は眼鏡が壊れるほど熱中していて、教室の外には他のクラスの連中も見ていて、私は幼稚園の頃の雪辱を晴らすべく豆を投げ、ぶつけられ、背中から入れられたり、頭から浴びせたりして、なんだか日本シリーズで優勝したみたいな騒ぎになった。
 幸い器物破損はなかったけれども、豆の粉塵が舞うわ廊下にまで豆屑が散らばってるわで、掃除は一時間を要した。
 先生は誰かに怒られたらしく、翌年から豆まきは禁止となった。
 青春だったなぁ。

 自分に子どもが出来て、節分をするようになったら、私は「本気」の豆まきを開催したいと思う。「本気」の鬼になって子どもを泣かせるのだ。そうして幼稚園の雪辱を晴らす
 憎しみの連鎖は終わらない。
 だから、本当の鬼は心の中にいるのだ。福はいない。