蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

父親が死んだら家族が増えた話

 親の不倫が原因で両親が離婚したのは私が10歳の頃で、それ以来、なにかと「父親」の存在に私は苦しめられた。
 父の度重なる嘘、虚偽、欺瞞に濡れ衣を着させられる家族、不誠実。
    父の機嫌を取っていないと毎月のお金がもらえなくなるので、私と妹は誘われたらなにかと食事に行ったりどこかへ行っていたりしたのだが、父が2年半前に再婚して、新しい気持ちで心を綺麗にして幸せな家庭を作ろうと思う今まで散々迷惑をかけたねお前たち「家族」のことは世界で一番愛してるよお母さんもねまあ離婚しちゃったけど(笑)これまで通りお金はあげるから蟻迷路は家族を守れ、と言われたときにはこいつマジモンのサイコパスなんだと絶望して、自分に父親の血が半分も流れていることを汚らわしく思ったものだった。
 以来、私は父親と疎遠になった。くたばれ。はっきり言って死ね、と夜な夜な夢に見るほど恨んだ。
 現妻のNさんもどうしようもない女だと思った。父の、私たち元家族への蛮行を知っておきながら、私淑してひとつ身になるなどまともな神経をしていたらできるはずがない。私たち家族のことを父はNさんにどう伝えたのか?悪者のように伝えたに違いない。母を貶めたに違いない。そうでなければ、父と結婚しようなど思わないはずだ。だって本当の「悪」は100%父なのだから。隠すに違いない。
 恨んでも恨んでもどうしようもない現実に、父がいなければ学費は出して貰えないし、私たち家族は路頭に迷ってしまうのでご機嫌は取らねばならなかった。その矛盾がつらくて、苦しくて、最近私は父が年末に顔を見せに来ても会わなかったし、いよいよLINEも無視していた。
 あんなの死んでもいい。何回でも死ねばいい。

 
 そう思ってたら本当に死んだ。客死だった。


 深夜に、旅先で父がひどく頭を打ったお見舞いに来てくれないか、とNさんからLINEがあって、ざまあみろ、と思って無視した。天誅だ。
 明くる朝5時ごろにNさんから、父は意識不明の重体でいつ死んでもおかしくない状況なので今から妹と一緒に来てくれないか、と泣きながら電話がかかってきて、そのことを母に伝えると母は取り乱しわんわん泣いた。
 なぜ泣くのだろう?わけがわからない。
 だってそうだろう。私たち家族を精神的にとことん追い詰めて、私を毎晩夢の中で苦しめたのも、母がうつ病になったのもアイツのせいだったじゃないか。勝手に私と妹の本籍地を変え、約束を破って戸籍上母から子どもを奪ったのはアイツだったじゃないか。どうして泣くのか?喜べよ。ようやく死ぬんだぞ。
「お父さんね、実は年の瀬にうちに来た時、これまでのことを泣いて謝ってくれたの。すまなかったって。蟻迷路には言ってなかったけど、実はそういうことがあったの」

 なんで今それを言うんだ?

「お母さんは、行ってやれないから、妹と行ってきなさい。飛行機とってあげるから」
 母はそう言ってその日の朝の飛行機のチケットを取ってくれようとしたけど、あまりにも取り乱していたので私が二人分席を押さえ、その日の昼過ぎに父の旅先へ飛んだ。


 救急医療センターには10年以上ぶりに会う伯母夫婦と、Nさんがいた。
 離婚してから伯母夫婦には会っていなかった。まさかこんなことで会えるとはねぇでも本当に嬉しいよ弟がさんざん迷惑をかけて申し訳なかったずっと会いたかったでも会うに会えなかったのごめんねと言われて抱きしめられ、泣きそうになる。
 Nさんは虚ろな目で父の元「家族」たちの温かな抱擁を黙って見ていた。

 父は人工呼吸器とか血液をどうかする機械とかよくわからない複雑な管で繋がれて横たわっていた。
 命の危機にあるというのはマジだったようだ。マジだった。マジか、とつい口に出した。

「お父様は救急車で運ばれているときには既に心肺停止状態で、意識レベルも最低の段階(かなり強い刺激を与えても反応がない)、蘇生術をしたところ心肺だけは動きはじめましたが、薬を使って心臓に鞭を打っていないと血圧が30台まで落ち込む危険な状況は続いています。頭蓋骨もめちゃくちゃに割れていて、脳の全体に血液が漏れています。手術でどうにかするというレベルではなく、遅かれ早かれ……という状況でして……」と医師から説明があり、私たちは父の歪んだレントゲン写真を眺める。
 私の恐るべきビッグ・ファーザーは酩酊して階段から転げ落ちて頭蓋骨が粉々になるほど強く頭を打ち、脳味噌もめちゃくちゃになって、心臓を無理矢理動かして血圧を上げる薬でなんとか生きている状態だった。生きている、というか、ほぼ死んでた。呆気なさすぎた。
 生前の意向で、その時に薬を中断することになった。どうしようもないなら何もしなくてよい、と伯母とNさんに言っていたそうだ。私と妹が到着するのを待ち、薬の投与は打ち止めされた。


 薬を止めると分刻みで血圧が下がっていった。血圧低下に比例して不細工な顔がどんどん青くなり、手は冷たく硬くなっていく。さんざん嘘を吐いていた唇からも血の気が失せているというのに、口から伸びた管にはますます汚れた血が流れ出していた。耳や目の端に血が付着していて、頭を打った際に流れ出たことがわかった。生え際は最後に見たときよりもずっと後退していて、髪の根元は白い。いつの間にか随分歳を取っていた。
 状況を母に電話すると、母はやはり泣いた。
「たくさん声をかけてあげて。お父さんがあなたたちのことを愛していたというのは、本当の本当だからね」

 どうしてそういうことを言うのだろう?

 父に苦しめられた母を見て、私は父を許さないことにしていた。家族の感情を蔑ろにした父を蔑ろにしようと思っていた。なのに、どうして母は泣くのだろう。そんなことを言うのだろう。
 もう遅いじゃないか。なにもかも。

 
 病室に戻ると、みんなが父に話しかけている。血圧が30になっていた。脳死状態で何を語りかけてもわかるはずないのに、私たちは伝わっていることを信じて伝えたいことを伝える。伯母さんは泣きながら父の額に手をあてて「ありがとうありがとう」と言い、Nさんはハンカチで顔を覆って獣のように泣き叫び、妹は顔をぐしゃぐしゃにして泣いて、伯父さんは声を殺して泣いていた。私だけ、茫然と立ち尽くしていた。
 何をしたらいいかわからない。どういう感情でいたらいいのかわからない。父が死ぬ。頭の中で母の言葉が反復する。
「お父さんね、実は年の瀬にうちに来た時、これまでのことを泣いて謝ってくれたの。すまなかったって」「お父さんがあなたたちのことを愛していたというのは、本当の本当だからね」
 呪いみたいに反復して、胸のあたりがぎゅうぎゅう痛む。ずっと無視してた父からのLINEをこんな時に思い出す。いつも私の体調を気遣ってくれた。胸が激しく痛む。
 伯母さんが父に語り掛けるように、眠ろうとする子どもに昔話を聞かせてやるように優しく、私たちに父の死にかけの体を通じて、涙を交えて話す。

「お前は、本当にいろんな人に迷惑をかけたね。たくさんの人を悲しませた。何人の女の人を泣かせてきたんだろうね。
……でも、それは、きっと、その時その時のことだったんだね。お前は、たくさんの人を愛してきたんだね。みんな愛されていたんだね。
あなたがいなければ私たちはこうして出会えなかった。素敵な人たちに出会えなかったのよ。愛を与えてくれた分、これからはみんなで仲良くやっていくから、あなたは心配しなくていい。
だから、憎しみも苦しみも、ぜんぶ、ぜんぶ、持って行ってもらいましょう。
ぜんぶ、ぜんぶ……」

 みんなが泣く。私は父の青くなりつつある頬に触れて、父に触れたのはいつ以来だろうと思う。もう覚えてないくらい昔のことだ。伯母さんの言葉を聞いて、なぜか父との楽しかった思い出ばかり溢れる。夏休みに伯母さんちに泊まってみんなで釣りをしたこと、キャッチボールしたこと、海外旅行に行ったこと、父が作ってくれたおでん。
 父に言いたいことがたくさんあった。忠告、文句、もう会いたくないこと、恨み、つらみ。
 毎晩、父の出てくる夢を見ていた。それは大抵、父への憎しみの夢で、そして、大抵、父と家族でどこかへ遊びに行く夢だった。
 言いたいことがたくさんあった。
 私は父の頬に触れて、語りかけた。
「言いたいことが、たくさん、あったん、だけ、ど……」声が詰まって、私はいつの間にか涙を止められずにいた。
 伯母さんが私を抱きしめてくれて、「おばちゃんがぜんぶ、なんでも聞いてあげるから!なんでも聞いてあげるからね!だから、ぜんぶ、ぜんぶあの世に持って行ってもらいましょう!」伯父さんが肩に手を置いてくれて、Nさんが泣き叫び、妹が膝をついて泣く。
 伯母さんの腕の中で、これまでの堰が切れたように涙があふれて止まらなかった。これまで父親に対して押さえていたあらゆる感情が、言葉にならない涙になって、どこか遠い記憶のうちからあふれ出て、弱くなっていく心音の側にこぼれていった。

「お父さんね、実は年の瀬にうちに来た時、これまでのことを泣いて謝ってくれたの。すまなかったって」「お父さんがあなたたちのことを愛していたというのは、本当の本当だからね」

 私は、私を愛してくれた最低で最悪で大嫌いな父を、ようやく許すことができた。父の「死」をもって。
 本当は、生きているうちに許したかった。でもそれは、どうやっても叶わないことだった。


 血圧は見る見る下がっていって、また少し上がったり、何度か激しい下降と少しの上昇を繰り返して、だんだん命のグラデーションは薄れていって、父は、私と妹が病院に到着した二時間後に、静かに息を引き取った。
 関係ないのだが、亡くなった瞬間、なぜかわからないけど私は右足が攣(つ)って、激痛に身もだえしそうになった。身もだえしている場合ではなかった。父が死んだのだ。


 伯母さんの言葉で私は父を許すことができた。そして伯母さんの言葉は父の死でしか出てこない言葉だ。私は父の死をもって、父を許すことができたのだ。それは、あまりにも皮肉で、遅すぎたことだった。
 Nさんは父が亡くなる時、言った。
「私がいるのにずっといろいろな人と不倫してて、本当につらかった。だいいち嘘つきだった。ずっと。でも、それもぜんぶ、もういいの。死んじゃうんだもん。愛してたよ。愛してるよ」
 父はとんでもない奴だった。でも、もういいのだ。ぜんぶ持って行ってもらったのだから。死んでしまったのだから、許してやろうじゃないか。
 皮肉は病室にいた誰にも共通したことで、「死」によって私たちの禍根は浄化され、そうしてようやく「父」を受け入れることができた。


 母も次の日に旅先へ来た。父と戸籍上の繋がりが完全にない元妻である母。Nさんは母と会って大丈夫だろうか?複雑な心境に違いなかったけど、母が安置所に来た時に二人は言葉を交わすでもなく涙で抱きしめ合った。伯母さんの計らいもあって、二人は二人を許し合い、父を許し合った。
 会ったこともない人間をお互い憎みあっていた私たち家族とNさん。母とNさんと伯母さんはその日の夜に三人で食事に行き、父の思い出話(その多くは文句、悪口)に花を咲かせ、みんなが同じような境遇に置かれ、現在繋がっていることを認め合ったという。
 全員父の被害者で、父を愛した人たちだった。


 私たちとNさんは父の死と、父への憎しみと、その浄化と、父との思い出によって繋がった、共通の絆を抱いた、血ではなく縁で繋がった「家族」になった。
一切を許し、許し合い、認め合い、手を繋ぐことができた。
 それはどう考えても皮肉なことで、新しい家族は喜びでしかなかった。
 私たちは愛し合う。誠実さをもって。


 ただ、まだ父を許せないことがある。それは、結婚して二年半のNさんとまだ21歳の妹を置いて行ったことだ。
 Nさんと父とのLINEを見せてもらったら、私が恋人とするような会話をしていて、実に親密で、それが胸に鋭い痛みを伴わせた。Nさんはこれから父と暮らしたマンションに独りで帰って、独りで暮らすのだ。父の名残と残響と共に。それを考えれば考えるほど鋭利な刃物になって私の胸を抉り取る。
 私はNさんのために涙を流し、痛みを感じる。


 父親の会社や財産の後始末で忙しい日々を送っている。父からの収入がなくなった我が家の生活はどうなるのだろうか?私の未来はどうなるのだろうか?はっきり言って不安だ。
 忙しい一年になりそうだ。体に気を付けて過ごしたい。とりあえず元気にやっている。

 

 

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