蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

奇跡と運命は存在するが、その先は必然でしかない

「法然が言ったことだったか忘れてしまったのだけど、この世に運命などというものはなくて、現在自分に置かれた状況は「必然」によってなされたものだ。物事にはあらゆる選択があって、「私」はそれらを自分の意志で選択してる。たとえば、今朝の目玉焼きに醤油をかけたかどうか、いつもは塩だけど今日は醤油をかけてみるか、とか、電車のドア今日は何両目の何番から入るか、とか。選択とも言えないくらい細かいこと、無意識で決定しているようなことも含めて、私たちは常に選択を迫られている。その選択の末にあるのが現在なんだ。
 運命に翻弄されていることなんて、実はない。現在は「私」の過去の選択がもたらしたもので、「私」に責任がある。現在そのものに「私」があり、そこに実存がある。
 法然という偉いお坊さんがそんなことを言っていた気がする。もしかしたら違うかもしれない。
 でもね、言っていることは一理あると思うんだよ。
 私と君が出会ったことは運命ではなく、必然だったんだ。そう思いたい。だから、選択するよ。君との未来を」
 私は女性をオトすとき、このような話をするのだが、これでオトせたことはない。


 冗談はともかく、法然が言うことはたしかに一理ある。遣る瀬無い運命ではなく、すべて選択の末に今があって、私とは何かを見失ったときは、現在そのものに目を向ければいいわけだ。これで道に迷わない。
 でも、運命もあると思う。
 それは奇跡としか言いようのない運命だ。


 今から4年くらい前、通学の電車に乗っていて、はっと目を奪われる女の子がいた。
 特段美人でもないのだけど、なぜだか目を奪われた。もう外見は忘れてしまったが、地味なかんじで、カジュアルな服装で、クラシックギターが似合いそうな同い年くらいの女の子だった。
 はっきり言って一目惚れした。
 あの子の隣を歩けたらどんなに素敵だろうと思った。あの子と食事をしたらなんでも美味しいだろうと思った。私だけに向ける笑顔を見たかった。よっぽど声をかけようと思った。どうやって?「あれ、久しぶり!元気してた?」常套手段かよ。ナンパなんてしたことがない。
 あまりジロジロ見てもキモいし、あの人の迷惑だ。陰キャ陰キャらしく口をつぐんで、頭の中で好き放題にしてやろう(かなりキモいな)……。
 でも意識すればするほどついついチラチラ見てしまって、いけない。私は本を読むことに集中した。斜め向かいの席の彼女も教科書を読んでいた。
 

 疲れてふと顔を上げた時、彼女と目が合った。
 すぐに逸らした。
 しばらくしてまた目が合った。すぐ逸らした。何度かそうやって目が合っては逸らし、なんだか不思議な感じだった。どうしてこんなに目が合うのか?私が見すぎているのだろうか?
 そんなことはなくて、相手もまたこちらを見ているのだ。
 よっぽど声をかけようかと思った。素直に。
 でも、声をかけなかった。私は声をかけない選択をしたのだ。そして、奇跡にすがった。
「もしも次に会うことがあれば、声をかけよう」
 私は本をしまい、目を閉じた。
 次に目を開けた時、彼女はいなかった。


 その日の学校帰り、私は最寄り駅近くの乗り換え階段で彼女を目撃する。
 彼女は私の前を朝と変わらぬ格好で横切っていった。
 私は息を呑んだ。奇跡だと思った。これは必然じゃない。運命なんだ。


 しかし、私は驚きに立ち尽くして、彼女を見失った。
 ……いや、ちがう。度胸がなかっただけだ。
 私は結局、彼女に声をかけない選択をしたのだ。
 その選択が正しかったのかどうかは誰もわからない。もし声をかけていたら私は名声を手に入れていたかもしれないし、路頭に迷っていたかもしれない。ちがう私であったかもしれない……。
 あり得たかもしれない現在の話をしても、それこそ犬も食わないからやめとこう。


 選択が正しかったかどうかはわからないけど、ただ、この「現在」には満足してる。素敵な仲間がいて、素敵な恋人がいる現在に。私が私であるということに。

 

 

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