私は大学一年生のころ、休み時間や空きコマは近くの公園で独り寝て過ごしていた。なぜなら、静かで心地良い場所だったからだ。構内はうるさくて……
……そうじゃない?
ああ、何を訊きたいかわかっているさ。
だからその手をどけてくれないか?アリクイのみんな(※「アリクイ」とは蟻迷路ファンの総称である。今勝手に付けた)。
そう。友だちがいなかったのだ。
クラスメイトは100人近くいて、クラスで受ける授業もあり、グループワークもあって、クラスメイトと議論したり喋ったりしていたのにもかかわらず、友だちが一人もいなかった。
なぜか?
それがわかったら友だちなんてとっくにできているし、今頃こんなじめじめしたブログなんて書いてないだろうが。
原因はいくら考えてもわからなかった。シンプルに人に話しかけられないし、話しかけても「それだけ」になってしまい、LINE交換にまで発展することはなく、クラスメイトたちはシャイだったわけでもないし、みんなは仲良くしているのに、私だけが(私と数名のあぶれ者たちだけが)孤独に苛まれていたのだ。
嘘だ。
苛まれていない。
私は必死に友だちを作る努力もせず、また友だちが欲しいとも思わなかったので、独りで授業を受け、独り大教室で昼食を食べ、空きコマは公園に行き昼寝をして、独りで家に帰った。「みんな」に溶け込む気ゼロだった。
私は選民思想を抱き、あぶれ出た自分を正当化した。集団で授業を受けている奴らは可哀そうな劣等生物だと思った。
奴らは群れないと何もできないのだ。自分の意見を持たず、他者と群衆の選択する「多数」に賛同し、それに参加することに心地よさすら覚えている。流行りに乗っている自分。みんなと同じ自分。みんなと同じ成績。それが格好良いと思ってる。そうしていることに危機感を覚えず、安心感を抱いている。多数こそが正義だと信じている愚かな人間。
特に、男で5人以上の群れで幅を取って授業を受けてフガフガ言っている奴らは相当可哀相だし、そんなみっともない男どもに腰をくねらす女は愚かだった。
群れていないと堂々と振舞えないのか!貴様らそれでも軍人か!大人数で強くなったと勘違いしている阿呆ども。粗忽者め。その群れはすなわち、己の心の弱さそのものであるぞ。いろいろと事情がある?知るか。おれは聞く耳を悪霊にちぎられている。
野郎は身一つ、孤独は孤高、独りを愛せ。
とか言いつつ、本当のところ真に孤独だったら大学なんて辞めていただろうと思う。
私はサークルに入って、友だちというか、仲間、ができ、なんとか明るい大学生活を営むことができた。授業を一緒に受けるということは稀だったけど、サークルに所属しているというのは心強かった。
でも、群れた覚えはない。
寂しいと思ったことがないとは言わないが、不便だと思ったことは一度もない。友だちは少なくても私は大丈夫だ。むしろ身軽で楽だ。
それに、どれだけ友だちがいたところで根本的に自分という存在は救いがたく孤独なのだから、数なんて関係のないことだ。
心の孤独を抱かなければ筆執り屋なんてやってない。
余談だが、この三月に卒業できることになった。