蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

鳥の巣を頭にのせて春を行く

 容院に行くと髪を切ってもらえるので嬉しい。浮浪者みたいに伸び放題になってから行くので、散髪後は現代社会に受け入れられたような気がするのだ。そこで髪の毛をセットしてもらうと、少なくとも中流階級の人間になれる。
 ワックスを使って髪を膨らませ、整った髪型を作り上げる。プロはすごい。
 すごすぎて真似できない。
 

 髪を切ったその日が、最良の髪型のピークだ。
 「ワックスつけますね」と言ってペーストを手に馴染ませ、美容師は私の髪をぐりぐりやっていく。最初は犬を撫でまわすように、頭全体にワックスをぐりぐりやって、全体をぼさぼさにしてしまうが、ここからどうやって格好良い髪型にするのだろう、と観察していると気が付いたら完成しているから、唖然とする。
 いつ完成した?
 どれだけ観察してもどうしてこう格好良い髪型にできるのか、わからない。
 翌日、自分で真似てやってみる。犬を撫で回すようにぐりぐりやっていく。
 しばらくして髪型を見ると、犬を撫で回した髪型になるので驚きだ。昨日の自分はどこへ行った?
 誰しも美容師の髪のセットを真似て挫折したことがあると思う。私はもう数年もそれを続けている。おそらく禿げるまで続けるだろう。


 昨年就活をした時に毎日髪を自分でセットしていたので、すこし容量がつかめたものの、髪の毛が伸びてくるとセットの完成図が変ってくるため、結局散髪前は浮浪者のようになり、惨めな思いをする。髪をセットして浮浪者になるなら髪をセットしないで浮浪者になった方が良い。
 髪の毛のセットの正解がわからない。いじればいじるほどゴールが遠のいてく。セットする前の、あの絶妙な寝癖ぐらいがちょうどよかったのではないか?私は髪をいじるたびにそう思う。
 鏡の前でいい感じにセットできたとしても、家を出て駅に行くまでに髪型は変わり、駅のトイレで確認すると、家に引き返したくなる。家に引き返し再び髪をセットして駅まで行き、トイレで確認をして、また家に引き返し、髪をセットして、駅のトイレで確認をして、また家に帰って、私はその日は寝込むことに決めた。
 この世界に不変のものはない。物事は常に変化し続けている。自分の身体でさえ数か月前の自分と今の自分とでは体を構成する細胞はすべて入れ替わっている。自分という存在も変わり続けている中で「自分」とは、「私」とは何だろうか?そんな哲学的問答を布団の中で、髪をむしゃくしゃしながら考える。眠れない日が続く。


 ある日、時間がなくてテキトーに髪をセットして、あーあもうめちゃくちゃだよ、って気分で人に会うと、今日の髪型いいね、なんて言われたりして、わからなくなる。ありがとう、と言っても、今日の髪型は二度と作れない。テキトーにやったから。でもテキトーが適当なのかもしれない。
 そう思ってまたテキトーにやると、今度はあれ?寝癖付いてるよ?なんて言われたりして、いや、これは寝癖じゃなくてセットなんだけどね、とは言い出せず、あちゃー寝起きのまま飛び出したからなぁーと道化になって引きつった笑みを浮かべる。
 正解のない日々。
 答えのない日々。
 自問自答。
 春風がぼくの髪をぐちゃぐちゃにする。そのまま。その調子でいい感じでセットしてくれないか。

 

 

 

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