蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

花見で俳句を捻りませんか

 3年前の春、サークルの人たちと井之頭公園で夜桜見物、と称して花見、またの名を酒盛り、をしたことがある。ハタチの春。
 その際に気分がいい感じだったので俳句を捻ろうじゃないか、と提案した。


 ちなみに。
 俳句は「捻る」という動詞を使うので注意してほしい。作る、でも詠む、でもない。「捻る」だ。
 なぜなら、俳句とは言葉の可能性の詩的な研究が基にあり、ある言葉の意味にとらわれない別の可能性を探求するものとして確立されたからだ。説明すると長くなるので省くが、ともかく俳句は言葉の可能性を、広がりを求める文学なので、言葉を「捻って」考えなければならない。
 短歌は「詠む」を使う。なぜなら、基にある和歌が詠(うた)うものであったからだ。


 ちなんだところで話を戻そう。
 冷たい夜風に桜がさらりさらりと舞い、ライトアップされた桜の影が月に立つ。酒に染まった同志の頬、愉快な気持ち、これを、この情緒を、閉じ込めることができたらどれだけいいだろう、と思い、俳句を捻ることを提案した。
 同志たちは、おう、やろうやろう、やりまひょやりまひょ、と既に愉快な様子で、こりゃあ良い句が生まれるに違いないと、みんなで捻りはじめた。


 ちなみに。
 俳句の数詞は「句」である。ここに間違う人は少ないが、一方で短歌にも「句」を使う人がいて、ちょいと待ちな、と私は言いたい。
 短歌の数詞は「首」だ。「しゅ」。なぜなら、(略)。


 ちなみきったところで本編に戻ろう。
 我々(3人)は考えた。俳句。俳句。5・7・5。まともに俳句を捻ったことのない3人ではなかなか思いつかない。
「下手くそでもいいんだよ。評価する人なんていないし、思ったように捻ればよいよ」私は言った。
「そっかぁ」
「うん。考えてみる」
 桜がだんだんボヤけてきた。花びらの舞う様子がフラメンコみたいに見えてきた。途端に、可笑しい気分になってきた。。。
 なんで大学生3人が花見しながら俳句捻ってんだ。
 どうかしてんのか。
 そんでみんなで真剣に考えているのは滑稽すぎるだろ。私含めて。
 「捻る」とか言ってる場合じゃないだろ。捻りも糞もあるか。投げだ。言葉投げ。と、わけわからんことを考えているうちに、閃いた。
 

 夜桜に 頬を染めるは 仲間かな


 忘れてしまったけど、たぶんこんなかんじのものを捻った。
 みんなでおぉ~とかやんや言って、爆笑。

 なんだこれ。駄句駄句。ぐだぐだ。
 我々はこの時、かなり酔っぱらっていた。
「え。いつの間にこんな酔ってんの私たち」
「わがらん。わがらん」
「え。え。だって。え」
「仲間かな」
(爆笑)
「すごーい!」
「ぎゃはははは!」


 めちゃくちゃである。情緒もへったくれもない。
 ただ、めちゃくちゃ楽しかった。

 この時何が起こったのか説明すると、俳句を捻ることに全員脳がフル回転し、アルコールの沁み込んだ血が脳を駆け巡った結果、大酔い、に至ったわけである。
 そう。酒を飲みながら深く考え事をすると、大酔いできるのだ。


 私は以来、独りで酔いたいときは酒を飲みながら考え事をすることにしている。たいていは悪い方向に思考が流れてバッド・トリップするので、泣きながら眠る。よくない。


 この花見大酔い事件のことを桜の季節に思い出し、あるブログ企画を思いついた。

 それは「第一回!チキチキ!酔った状態で詩を書いたら、どの酒で書いた詩が一番評価されるか選手権」だ!


 私は計画を実行すべく、家で独りビールを飲みまくった。いい感じに酔ったところで詩を書いてTwitterに載せようと思った。しかし。
 そもそも、詩が書けなかった。なぜなら、酔っているので。
 私は見落としていたのだ。
 酔った状態で俳句を捻ったとき、できあがった俳句は駄句だったじゃあないか。
 ただでさえ詩は苦手とするところなのに、素面はまだしも、酔った状態では言うまでもない。


 大人しく寝た。泣きながら。陰嚢を揉みながら。

 

 

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