蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

シンプルで単純に生きるというただそれだけの、ピカレスク・ロマン

    朝出社する前にハッピー!ハッピー!ハッピー!ハッピー!ハッピー!と、アニマル浜口の「気合いだ!」よろしく叫んでから家を出ることにしてる。そうすると1日、笑顔でいられるから。涙が流れないから。

    そうなったら終わりですね。

 


    さて、2月にタイに行ってから、ずっと頭の隅にうずくまっていた考えがある。

    それは、シンプルに単純に生きたい、ということだ。

    タイの人たちにだってそれぞれ、私の知り得ない複雑な環境があるのだろうが、少なくとも彼らは欲望にだけは忠実で、朗らかで、なんだかそうあることが、私には良いものに見えた。金が欲しければ暗黙に金をせびるし、女を抱きたければ女を口説くのだ。

 

    鉄道市場、というところに行ったときのことだ。そこはバンコクの市場なのだが、やはり外国人観光客が多くて、日本人をはじめ中国人や韓国人、時々ヨーロッパ人がいて、おそらく客の半数以上を外国人観光客が占めていた。食べ物屋台や雑貨・服などの屋台テントが立ち並びどの店も驚くべき繁盛をしている。タイは物価が比較的安いので、観光客が爆買いするのだ。

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(鉄道市場)

    あるフルーツジュース屋台に、タイ人男性がわらわら並んでいた。タイ人男性ばかりが10人くらい屋台を囲んでいるのだ。フルーツジュース屋台は他にもいくつかあるので、そんなに美味しい店なのだろうかと思ったが、美味しいところには観光客も大勢並ぶはずである、ここはタイ人しかいない。なぜだ?

    タイ人男性の顔の緩みと屋台の店員を見て、そのワケは一目で明らかとなった。

    店員が、めちゃくちゃ可愛いのだ。

    しかも、めちゃくちゃエロいのだ。

    なんでこんな屋台で働いてんの?ってくらい可愛くて、シャツは胸元があえて緩いものを着ているために、フルーツを砕くとけしからんばかりにおぱおぱ揺れて、実によくない。いかんなこれは、もっと詳しく調査してタイの風営法と照らし合わせ、報告書を提出せねばならない。もっと見なくては。調査だ、調査だよこれは。

    と、言わんばかりに鼻の下を伸ばしたタイ人男性たち。中にはプレゼントらしき貢ぎ物を持っている人までいる。

    そう、この店の繁盛は、実のところ女目当てだったのである。

 


    私は、この男たちの行動に、少しく感動を覚えた。なんて単純なんだろう。なんて欲望に忠実なのだろう。

    私はナンパをしたことがないし、可愛い女の子のいる店に通い詰めたこともない。だってそんなの恥ずかしいことだし、やりたいとも思わないし、なによりもイケナイことだ。破廉恥だ。メーワクだ。

    でも、欲望に忠実であることは無垢で美しいとすら、その時思ったのだ。

 


   欲望を抑制したくない。

   他人からどう思われたって構わないから、善悪の区別もなく、理由もなく、気に入ったことには喜び、気に入らないことには不機嫌になって泣き出してしまう、赤ちゃんのような心でありたい。

    でも、そうあることはもう叶わない。なぜなら、そういう文化や教育のもとで育っておらず、文化人としてのモラルが深層心理に植えつけられており、理性的に赤ちゃんらしくすることはできるけど、本能が理性を超越して私を赤ちゃんにすることはできないからだ。

    上田秋成の『春雨物語』に「樊噲(はんかい)」という話がある。主人公の樊噲はまさに先述の赤ちゃんのような男で、犯罪には手を染めるし、親を殺害するし、はっきり言って最悪なのだが、極悪人に見えて弱きを助ける場面があったり、言語によらず彼の感性で自ら出家を選んだり、最後は悟りを開いてしまう。めちゃくちゃである。論理性がない。

    ただ、次のように「樊噲」を解釈するとわかりやすくなる。少なくとも、理解した気になれる。

    それは、樊噲はただ単に、欲望に忠実なだけなのだ、と。生きるために生きようとしていて、悪事だとわかって盗みをしているのではなく、生きるために金品を強奪しているのだ。善悪の区別がないのだ。気に入ったか、気に入らないか、でしかないのだ。それはすなわち、なによりも純粋無垢なのだ。

 

    私も、樊噲のようにありたい。犯罪はしたくないけど、欲望に忠実で、気に入ったか気に入らないかで物事を判断したい。面倒な理由はいらないし、見たくないものは見なくてもいい。そうありたい。

    難しいことは考えたくない。人生は答えのないことばかりで、疲れる。

    シンプルに、単純に、生きたい。

 

 

 

    でも、悩むことを忘れたら、もう文章は書けないのだろうな。と、私はもう少し悩み続けてみることにした。