蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

満員電車で考える僕たちの生きかた

    りの満員電車でおっさん二人が押したの押してないの臭いだのハゲてるだのと罵り合って喧嘩していて、地獄か。。。と思ってひっそり泣いた。ねえ、ぼくたちいがみ合うために生まれたんじゃない(殺し合うために生まれたんだ)。

 

    満員電車ってなんだかんだ地獄で、1日の体力がかなり削られる。私は幸福にも朝は座れるのでマシだが、帰りは1時間半強、満員の中、立ちっぱなしであることも多い。へろへろの身に混雑は耐え難いものがある。舌打ちしたくなるときもある。学校が始まってから混雑率は1.5割増しになった。

    私の利用している路線の混雑率を調べたところ、どれも150%を超えていた。つり革が持てればラッキー、座れる人は前世の行いが良かったとしか思えない、そういうレベルだ。でも昔は200%以上だったと聞くし、これでもだいぶ良くなったのだろう。この時代に生まれて幸せだ。幸せだよぼかぁ。

    豚や多くの哺乳類は混雑率が100%を超えると死ぬらしい。死なないのは人間とネズミくらいだと大学の講義で聞いたことがある。よかった。豚に生まれなくて。さもなくば毎朝死んでた。私は人間に生まれて幸せだ。幸せだなぁ。

 

    朝の混雑は異常だ。これが首都圏のデメリットか……と思う。電車が空くのであれば、どんどん少子化してほしいとさえ思う。豚に生まれたほうがまだマシだ。

    幸運にも朝は座れているので私はそこまでツラくないのだけど、立っている人たちは憐れだ。

    座席上のつり革に掴まった人々は反り返って私の顔面目前までおっさんのビール腹が迫っている状態で、なぜかわからないのだが、私の目前に迫るのはだいたいおっさんのビール腹であり、女子高生がせり出してくることは未だになくて、呪う。女子高生がせり出してきたらそれはそれで困るのだが。

    朝からおっさんがツムツムみたいに敷き詰まって潰れる呻き声を聞くのは、痩せ細った野良猫の汚れた目元を見たときのように悲しい。

    うっ………

    うぐっ……… 

    んんんんんんっっ

    んぎぎぎ……

    ぎぃ……ぎぃ……

    ひょっとすると喘ぎ声みたいだが、違う。呻きだ。彼らは皆、快楽によがっているのではなく、衆生の苦しみに唸っているのだ。餓鬼の如く。

    私は餓鬼らの苦しみの声を聞くまいと両耳を塞ぐが、そうすると溢れる悲哀の涙を拭いようがない。餓鬼らの魂を癒すべく合掌のしようもないから救いようがない。無力を痛感せざるをえない。

 

    多くのおっさんや男は痴漢冤罪にかけられまいと自主防衛している。出来るだけ手を下げないようにしたり、両手を塞ぐよう努めてる。はっきり言って面倒だし、腕が疲れる。

    どうしてこんなことせねばならないのか?

    痴漢冤罪をかける悪い女がいる、というのも理由の一つだが、なによりも根本的な理由は、痴漢がいることである。

    痴漢は女性に屈辱を与えるだけでなく、全く罪のない善良な普通男性の株をも落とし、極的な思想を持つフェミニストどもに「男性」と一般化されて蔑まれることになるし、冤罪を誘発する恐怖を与えている。

    おい痴漢、まじで許さんぞ。

    これは本当に、まじに許さない。社会も許しちゃいけない。断固裁くべきだ。卑怯者を許すな。

    もしも恋人が痴漢された挙句に泣き寝入りしてしまうようなことがあったら、なんとかして痴漢を見つけ出し拘束して、睾丸をひとつずつ、丁寧丁寧丁寧に、じっくりコトコト、できるだけ長く苦しみを与えられる工夫の施された「装置」で潰し、に食べさせたいと思う。

    あるいは痴漢を市中引き回しにして、みんなで石を投げませんか?餓鬼みたいに。

 


    

    僕たちはいがみ合うために生まれたんじゃない。だから、せめて痴漢じゃないおっさんに押されたとしても赦したいし、悪女ではない女性に混雑負荷をかけたくない。

    痴漢は許さん。