慢性鼻炎で人生をめちゃくちゃにされている人、挙手。
はい、はい、はい……
結構いますね。
私も実は一年の半分以上を鼻詰まり小僧で過ごしています。
風邪をひくと鼻に来て、そのまま鼻炎になるのです。鼻炎が治るとまた風邪をひいて……の繰り返し。いやぁ、許して神様。
なので、点鼻薬が欠かせない。
私は点鼻薬を「呼吸器官」と呼んでる。彼がいなくては私は陸に打ち上げられた魚のようになり、苦しくて何事もかなわなくなる。泳げないし歩けない。
しかし、点鼻薬をシュッと一噴きやってやると、鼻がすぅぅぅぅうううっと晴れて、私は陸で呼吸ができるようになる。視界も開けて光を浴びる喜びを感じられるし、鳥の声や花の香りに生命の尊さを感じることだってできる。街角に詩を見つけることだって困難じゃない。
ただ、点鼻薬をもしも家に忘れた場合、それに気付いた時にはまだ鼻が詰まっていないとしても、途端に全身を襲う悪寒、虚脱感、太平洋の果てに置き去りにされたかのような絶望感、私は人であることをやめたくなる。
今日、家に呼吸器官を忘れた。
会社に着いて気付いた。
就業開始まであと5分。だめだ。死のう。
すぐさまiPhoneで最寄りのドラッグストアを探す。遠い。5分じゃ無理だ。近くでも無理なのだ。だめだ。死のう。
お昼休みに走るしかない。
こうして私の憂鬱は始まった。すでに右の鼻が詰まっていた。
点鼻薬がない時、どうするかというと、鼻をかまないに限る。知らない人にとっては逆説的な考えに思われるだろうが、噛んでしまうと残された薬液がすべて出されてしまい、余計に鼻が詰まるのだ。これは虐殺的だ。
かんだ。
無意識に鼻をかんでいた、10時15分。
やってしまってから、やってしまったと思った。
ばか!ばかばかばか!心の中の少女が喚き立てる。すまない。本当にごめん。無意識は恐ろしい。
お昼休みまでの1時間半あまり、口をぱくぱくさせて酸素を取り込んだ。
だんだん口が渇いてきて、呼気が臭う。すまない。すまない……。
次第に自尊心が削られてきて、死ぬまでこんな想いをしたらどうしようとか、憎き父のこととか、突然誰かに刺されることとか、山羊に睨まれることとか考え始めて、研修の講師の話が全然頭に入ってこない。ただでさえつまらない話なのに。
いや、つまらないのは、私という人間か。
ははは。おもろ。
お昼休みに入るやいなや、私は渋谷の街を駆けた。スーツで、革靴で、ネクタイを春の終わりの風に揺らしながら。昼間の闇の中を疾駆する。
ドラッグストアに果たして点鼻薬はなかった。いつも使っている愛用の呼吸器官が売ってなかった。
「でんびやぐ、ありまずが?」
「こちらにあります」
あった。
知らない呼吸器官。2000円もするやつ。
背に腹は変えられなかった。
私は泣きながら野口英世を2名、差し出した。泣かないで、英世。お前はオレを救う。
会社に戻る私は、人間になっていた。生命の喜びを感じられる、美しい人間に。