蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

死んだあの子は元気だろうか?

    しいけど多くの人がよくある経験として語ることのできるものに、「同級生の死」がある。

    私はこれを2回経験した。

    一人は中学2年の同じクラスの男の子で、彼は登校中に倒れたきりもう目覚めることはなかった。

    もう一人は高校1年のときの隣のクラスの男子で、彼は朝ベッドから起きてこなくて、それきりになったらしい。

    時々2人のことを思い出しては、自分がこうして生きていることの奇跡的な妙と、遺族の、特に父母の胸中を想って、胸が苦しくなる。

    二人の生きていた記憶というよりも、私には死んだことによる記憶の方が強くて申し訳ない。彼らは私の中で死に続けている。

    二人が亡くなった日は全校で黙祷があって、二人の机に寒々しい白い花が供えられ、女子は彼らと喋ったこともないのにわんわん泣いて悲劇のヒロインみたいで、男子はいつもするようなエロい話や馬鹿騒ぎは控えるのだった。でも、一週間もしないで元に戻る。亡くなった生徒の机に目を背けて。

    

    高校のとき亡くなった彼の名前は遠藤くんだった。

    その名前は不幸だった。

    当時私たちは生物の授業でメンデルの遺伝の法則の勉強をしており、エンドウ豆の遺伝法則について学んでいたのだ。

    遠藤くんが亡くなったその日も生物の授業があり、先生はことも無げにエンドウ豆エンドウ豆と連呼した。仕方ないのだ。

    でも、ちょっと不謹慎で、ちょっとだけ、ほんの少しだけ面白かった。誰にでもどうしようもないことはある。

    エンドウ豆エンドウ豆エンドウ豆。

    祈りのようだった。

 

 

*****

 

 

    高校1年生のとき、ほんの少しだけ好きな女の子がいた。Nさんとしよう。

    そんなに話したこともなかったし、熱烈に好きだったわけじゃなくて、クラスの女子で付き合うなら誰にする?って話のときに私が挙げるのがNさんだっただけだ。だから、ほんの少し好きだった。「好き」の平方根くらいの想いだ。

    美人でもなく地味なタイプで、線が細くて、色白で、髪の毛が細くてやわらかそうで、笑うと声がひきつる女の子だった。

 

    文化祭で映画を撮ったとき、私は脚本とカメラを担当し、Nさんを主要なキャラクタの一人に設定した。内容は血みどろのホラー映画なのだけど、Nさんは最後まで生き残る(物語の外で殺されるのだけど)。

    教室の扉を開けて入ってきたNさんをカメラ越しに見たとき、ちょびっとだけ体温が上がった気がしたのを今でも覚えてる。ジリッとして耳たぶが熱くなった。たしか、教室で二人きりで撮影したのだ。夏の終わりに。どうしてそんなシチュエーションになったのかは覚えていない。

    Nさんが恋人になったら素敵だろうな。と思いはしたけれど熱烈な感情ではなくて、来年も同じクラスになれたら嬉しいな、と思う程度のことで、デートに誘おうとか告白しようとか、そこまでじゃあなかった。結局私も恋に恋をしていたのだ。耳たぶの熱を別にして。

 

    2年生になって、Nさんとは別のクラス、すなわち、別のコースになってしまった。

    うちの高校はコースが設けられ、進学または就職をする普通コースとレベルの高い私立大学への進学を求める特進コース、それから国公立大学への進学を目指す特待コースがあって、私は一番上の特待コースだった。

    進級して別のクラスになってしまうということはつまり、落第を意味する。Nさんは落第して特進コースに行ってしまったのだ。

    悲しかった。

    一度落第したらもう二度と戻ってこれない。特進コースに友だちもいないだろうな、孤独だろうな、と思うとやるせなかった。結局勉強をサボっていた彼女の自業自得なのだけれど。(ちなみに私はギリギリの成績で特待コースに残り、3年生までお情けで残ったものの3年の4月の県下一斉試験の数学で0点を獲ることになるのだが、それはまた別のお話だ。)

 

    でもまぁ、クラスが離れても同じ高校にいるわけだし、会えないわけではない。それにそんなに熱烈じゃないんだ。勉強しなかった彼女が愚かだ。

 

    2年生の初夏に修学旅行があった。

    そこにNさんはいなかった。

    学年集会にもNさんはおらず、全校に張り出された試験成績にもNさんの名前はなかった。

     どこかにいると思っていたNさんはどこにもいなかったのだ。

    クラスの女子に訊いても男子に訊いても、誰もNさんの行方を知らなくて、しかも皆「あーそんな人いたね」って感じでさもいないことが当然であるかのようで、私は卒業するまでNさんの不在感に馴れなかったのであるが、極めつけは卒アルにもNさんの姿は影ひとつもなかったことには驚いた。

    最初からこの世にはいなかったみたいだ。そして、誰の心にも。

 

    1年生の春休みに転校したのかもしれない。ひっそりと。親の転勤とか、成績不良とか、色々あって。

    でも、クラスには馴染んでいたし友だちもいたし吹奏楽もやっていたのに、誰もNさんの行方を知らなかったことには驚いた。

 

    先生に訊けばよかったのだ。でも、訊けなかった。なにか家庭の事情とか体に関わることに原因があるとか、とにかくみんなに公にせずに消えたということは、理由を明らかにしたくないなんらかの意図があるからだと当時の私は読んだ。それをわざわざ突っ込んで訊こうだなんて、仲の良い友達でもないのに、クラスの1男子でしかないのに、烏滸(おこ)がましいことだ。

    きっと転校したんだ。

    ひっそりと。

    Nさんのことは一応そうやって納得した。耳たぶの熱を別にして。

 

 

    だけど、最近になって別の説が浮上した。

    それは、死んだクラスメイトの二人と同じ結末だった。Nさんは、春休み中に、ひっそりと死んでしまったのだ。

 

 

    本当のところ、どうなのかわからない。

    でも、ありえない話ではないと思う。クラス替えの時期に亡くなったから有耶無耶になったし、長期休みで公表するにできなかったし、遺族が隠したのかもしれない。わからない。そもそも死んでないかもしれない。説にすぎない。

 

 

    死んでないでほしいな。

    べつに今更会いたいとも思わないし、Nさんにもう恋はしていないし、どうだっていいのだけど、ただ、なんとなく、どこかで元気にしていてほしいと思う。

    彼氏と手を繋いでソフトクリームを食べたり、友だちとカラオケで騒いだり、仕事を真面目に不真面目にこなしていてほしい。つらいことも多いけどそれなりに幸福な人生をおくっていてほしい。

    Nさん。

 

 

 

    私が撮った映画の中でNさんは白い肌を浮かせている。セーラー服がはためている。血糊が散乱している。夏の終わりの映画だった。蝉の声が少しだけ入ってる。

    Nさん。

    Nさんのセリフは忘れてしまったよ。耳たぶの熱を別にして。