蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

合唱の思い出

    の通っていた中学校は極めて規律に厳しいところで、周辺住人や保護者からは「軍隊」と恐れられていたし、校長先生のことは伝統的に「軍曹」と呼び、生徒はお互いに「同志」と呼び合って日々殺人術を研鑽していた、なんて事はないのだが、普通の中学校に比べてかなり校則が厳しかったことは本当である。それはうちの中学が公立ではなかったせいかもしれない。

 

    たとえば、授業開始の5分前には全員授業準備を済ませて自分の席で立って待っていなければならなかった。

    しん……として待つ。先生が遅れたら何十分でもそうして待つ。体調が悪くても例外は許されない。立って待つ。倒れる者もいる。

    やりすぎである。

    どうしてそこまでしなくちゃいけなかったのか、どうして私たちはそれにきちんと従っていたのか、なぜそのことを疑問にすら思わなかったのか、今となってはわからない。

    ちょっとした洗脳をされていたのだろう。たとえ洗脳されていてもつらいものはつらいのだが。

    やりたくね〜と思いつつも私たちは日々規則に従っていた。他にもいろいろあるのだが、今日の本題はそれではないのでやめておこう。

 

 

*****

 

 

    そんな中学生活の中でいちばん嫌だったのが合唱だ。

    うちの中学はなぜか全校で合唱活動に並々ならぬ情熱を注いでおり、合唱部はNコンの本選に出場するなどしていたほどだった。

 

    毎週月曜の全校朝会で、その週の担当の組は決められた曲を全校の前で披露しなければならない「朝の歌」というコーナーがあり、そのために各クラス競うように練習する。たとえば5月27日(月)は3年3組の担当で『COSMOS』を披露してください、といった感じだ。

    また、そのクラスの披露後に全校でその曲を合唱するので、結局どのクラスもある程度練習しなければならない。なんでや。と思いつつもきっちり練習して、全校生徒で歌う。

    朝会で30分ほど合唱の時間が設けられ、そのあとで一般的な朝会がはじまる。全行程およそ1時間。長いと1時間半。全校生徒が体育館に敷き詰められ合唱で酸欠になるので、夏場は特に倒れる者が多い。どう考えてもやりすぎである。男塾か?

 

    大嫌いだった。合唱。

    こんなにつらいことあるだろうかとずっと思っていた。

    私は歌うこと自体は好きだし、曲も好きだし、歌詞も谷川俊太郎など名だたる詩人のものが多くて、豊かな気持ちになれて好きだった。

    でも、合唱で、みんなで歌うことは本当につらかった。

    なんか説明しづらいのだけど、みんなで心を合わせて歌うという行為それ自体がムズムズしたし、結局のところ団結なんてできないのに馬鹿馬鹿しいと斜に構えてしまい、やたらにキツい練習をしていくにつれてその歌のメロディや歌詞を嫌いになっていくのも耐え難かった。

    要するに当時から私はひねくれ者だった。集団そのものが好きではなかったのだ。

 

    でも、私は合唱練習に参加した。

 

    なぜなら、合唱が力を持つ閉鎖社会において練習に参加しない人は「非国民」あるいは「国賊」もしくは「ヌケサク」等のレッテルを貼られて、最悪の場合、社会的な死のみならず理科室の前の踊り場で極刑に架されることもあり、私は目の前で同志の血を浴びたこともあるからだ。

    ……まぁ、ちょっと、ていうか、かなり盛ったな。でも白い目で見られることは確かだった。

    それに、私は完全にノリで生徒会本部に所属し、生徒会長をも務めたので、学校が力を入れている合唱活動には率先して参画せねばならなかった。

    なんでノリで生徒会長が勤まっていたのか今となってはよくわからないが、これもまた別の機会に書こう。

 

    「朝の歌」のために毎週火曜日と木曜日の朝8時からホームルームまでの30分間、合唱練習がある。毎週だ。

    「朝の歌」の発表担当クラスや合唱祭が近い時期は、朝と昼休み、放課後の自由時間を返上して毎日練習する。

    そのすべてに私は参加した。

    立場的な責任もあったし、叛逆が怖かったし、なによりも洗脳されていたので環境の異常にあまり疑問を持たなかったのだ。異常に気付いたのは高校に入ってからだ。どれだけ鎖(とざ)された環境だったのかわかる。

   

    つらかった。もう二度と合唱なんてしたくない。今でもその想いは変わらない。

 

 

*****

 

 

    だが、今でも時々、当時歌った曲を聴く。

    今聴くと、とても良い曲がたくさんある。つらい思い出を慰めてくれるような、余りある愛情に溢れた優しい歌詞がこの歳になって沁みてくる。

    中学生当時は甘すぎる歌詞が嫌いで、ストレートなものより抽象的な歌詞を好んだけど、今はどっちも好きだ。   

 

    また、バンドで曲を作っていたとき、メンバーにどことなくお前の作る曲は合唱ぽさがあると言われたものだった。

    多感で影響を受けやすいときに聴いていたのが合唱と さだまさし南こうせつだったので、そりゃあ形に表れるだろう。まあまあ特殊な影響を受けたバンドマンだったと言える。

 

    合唱による集団行動で培った、無力な私力の諦めと滅私のノウハウも結構役立っていて、組織というものに対してやたらに騒ぎ立てるのではなく表向きでは従っていても裏では自分というものを組織の中で失わないようにするための反抗の機序を持つ精神構造を手に入れることができた。

    おかげで友だちは少ないし、暗い部屋で小説を書いては気に入らない奴を作中でぶっ殺している、完全に終局の陰者になってしまった。これはあまり関係ないな。

 

 

 

    このように、中学の厳しい合唱環境が私に残したものは痛みだけではなかった。

    合唱曲は素敵だし、歌声は心落ち着ける。

    こんな素敵な歌を多感な中学生がみんなで心を一つにして歌えばきっと素晴らしい大人に成長するだろうな、と私でも思うほど、合唱曲は大人の心に響くものが多い。

 

    だから素敵だし、

    だからクソッタレなんだ。

 

 

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    オススメの曲

 

「虹」

虹 【合唱】 歌詞付き - YouTube

  「未来」

合唱『未来』【歌詞付き】 - YouTube

「心の瞳」

心の瞳 【合唱】 歌詞付き - YouTube

「河口」

混声合唱組曲 筑後川 Ⅴ.河口 歌詞付き - YouTube

「走る川」

【合唱曲】走る川 / 歌詞付き - YouTube

「君とみた海」

【合唱曲】君とみた海 / 歌詞付き - YouTube

 

などなど。