理科室という言葉は学校でしか用いられない特別な言葉だ。
同じように、音楽室とか家庭科室とか図工室とか、それだけでノスタルジックになれる言葉がある。中でもやはり「理科室」は私にとって思い出深い教室だ。
私は中学生時代、科学部だったのだ。
すみません、嘘つきました。
なんで嘘ついちゃうんだろう。科学部じゃないです。ほんとごめんなさい。
インターネットなら嘘をついてもいいと思ってるフシがある。
科学部ではなかったけど、理科室が好きだった。
汚い排水溝。なんかの薬品が混ざったような煤けたにおい。誰かがこぼした後のある硫黄。整然と並ぶフラスコ。一度も使われたことのない人体模型。錆びたガスバーナー……。
そこは日常と一線を画した空間だった。
教室から離れて理科室に行くと、なんだか自分が有能な人間になれた気分になって、私は単なる中学生じゃない、ある研究機関に所属する研究者なんだ、って妄想をよくして、授業を全く聞いていなかったのでめちゃくちゃ成績が悪かった。
よくわからない薬品が並んでいたり、虫の解剖図が貼ってあったり、ガラス戸の棚の中に並ぶ実験用具を眺めているだけで、そこは日常に隠された秘密の部屋のように思ったものだ。
変なやつ。
うちの中学には理科室がふたつあり、校舎の奥まったところに並んでいた。
校舎の奥の階段は誰も使う人なんかいなくて、掃除もされず、備品が転がっていたりして、喧噪の校内において静かすぎる特殊な場所だった。廃墟の階段みたいだった。
どの学校にもそういう階段はあると思う。そういう階段はきまって「お化け階段」なんて言われて、都市伝説じみた怪談の発祥地になる。
やれ階段の段数が登る時と降りるときで違うだの、人影があったのに誰もいないだの、ああいうのは誰が作ったのだろう?
もしかしたら作ったのではなく、本当にそういうことがあったのかもしれないけど。
一番奥にあった第2理科室とその階段の間に、ふたつのガラス戸の棚があった。
私はそれが好きで、よく見に行ってた。
その棚には標本が飾られていたのだ。
不気味な標本ばかりだった。
サメのこどものホルマリン漬けや腹の開かれたカエル、鳥、ワニのはく製。
どれも埃かぶっていて、色褪せ、誰にも構われていないどころか、その標本の存在を知らない者もいた。
なかでも私が気に入っていた標本が「猿の脳みそ」だった。
そう、猿の脳みそのホルマリン漬けがちょこんとそこにあったのだ。
雑然と並ぶグロテスクな死骸のなかにあったそれは、紙のように白くて、小さくて、すこしだけ付いている血の塊が作りものではない確かな生々しさを感じさせた。
友だちと標本を見ていて、私があまりにもまじまじと猿の脳を見ているのを彼は不気味がった。
「もう、行こうぜ」
「え待ってよ。猿の脳もう少し見たい」
「やだよ怖い」
「でも脳味噌なんてめったに見れないじゃない」
「ここに来ればいつでも見れるでしょうが」
「もうちょっとだけ!」
「やだよ、おれ先に戻るよ、怖い」
「え、おいてかないで。怖い」
「怖い」
「怖い」
怖かった。その標本たちが誰からも忘れられて何十年もそこにひっそりと棲んでいる。はらわたを丸出しにされた死骸が、脳みそが、夕暮れの校舎の隅で音も出さずにそこにあるということが無性に怖かった。
動き出すかもしれない。そういった恐怖ではなく、ただ「そこにある」ことが怖かったし、誰も近づこうとしないことそのものが怖かった。
怖かったから、私は標本にわざわざ接近し、猿の脳みそをちゅるちゅる眺めていたのだ。
そこには触れてはならない「非日常」があった。
ある日、標本を眺めていると理科の先生がきた。
「蟻迷路、標本が好きなのか?」
「はい」
先生はクスリと嗤った。
「この標本、授業で使わないんですか?」
「うーん……みんな怖がるからね。そのうち処分しなきゃと思っているんだけど」
あれから10年近く経った今、その標本たちがどうなったのかわからない。
処分されて供養されたかもしれない。学校の「闇」は葬られ、あのお化け階段もみんなが使うようになったかもしれない。「非日常」は浄化され、うつくしい「日常」が校舎の隅々まで照らしているかもしれない。
そんなことは嫌だ。
今もあの古ぼけたガラスの中で、猿の脳みそが眠っていてほしい。
やわらかな日の差す森の夢を、ずっと見ていてほしい。「非日常」の中で。
ところで
どうして理科室の蛇口は勢いがいいのだろう?
ビーカーを洗うときに勢いが強すぎて制服にかかるから嫌いだった。