ドラえもんが家にいたら素敵だと思う。
帰宅して自室のドアを開けるとドラえもんが漫画読んでて「おかえり」ってなんともない顔で言ってくれるのだ。私はドラえもんが日常的にいることを当然のことのように受け止めているし、ドラえもんも現実を疑いようもなく信じている。
そんで、私がスーツを脱いで、シャツ一枚にパンツだけを履き、ベッドに横になると「風邪引くよ」なんて言ってくれる。そんで、「お疲れさま」と言ってくれる。そしてまた、漫画を読みはじめる。
部屋にドラえもんがいたら、どれだけ素敵だろう。
私は ばぁ"~とクソデカため息をついて、仕事の愚痴をするのだ。
「ねぇ聞いてよドラえもん」
「えー今いいところなのに」
「昨日も読んでたじゃないそれ。つか、ドラえもんはずっと家にいるんだからいつでも読めるじゃない。僕の新鮮な、採れたての愚痴話を聞いてよ。ドラえもん暇でしょ」
「ぼくだってねぇ、昼間はそんなに暇じゃないんだよ。ミーちゃんと屋根の上で空を見上げたり、雲の形が何に見えるか考えたり、飛行機の数を数えなきゃいけないんだ。それだけじゃない。風のにおいを猫的に喩えなきゃなんない」
「猫的に?」
「今日の風は肉球が浮かんでいきそうだね、とか 春風がヒゲの先でくるくる踊りそうだね、とか」
「ふぅん。君がセンスないのはわかったよ。とにかく僕の愚痴を聞いてよね」
「どうせ上司に理不尽なことで殴られたんだろ?聞かなくてもわかるよ。あるいは、上司のリサイタルに呼ばれたか?もしくは、取締役の御曹司に自慢されたんでしょ」
「決めつけないでよ〜。聞いてくれることが滋養になるんだから、聞いてよ」
「やれやれ」
なんてな会話をする。ちょっとのび太の家のドラえもんとは違うけど、それでいいのだ。ぼんぼんバカボンバカボンボン。
のび太とドラえもんの友情はどういうところで繋がっているのだろう。
ドラえもんは唐突に未来からやって来て、タダ飯を食らい、押入れを占領し、秘密道具を大っぴらに貸してくれる、変なやつだ。
ドラえもんがなんの道具も貸してくれなかったら、二人の間に友情はないだろうか?のび太が出木杉みたいな優等生だったら、野比家が裕福だったら、どうなってたろうか?
意地悪なことを考えるのはよそう。
ドラえもんがいたらいいなぁと思う。秘密道具なんてなくたっていい。ああいう、気の置けない仲の、人間ではない存在がいて、時には喧嘩もするし面倒くさくなったりもするけど、それでも何かあったときは、お互いはお互いの味方で、信頼とか尊敬とかそういう言葉を抜きにしてお互いを認め合っている、みたいな、そんな存在がほしい。
人間ではダメだ。
人間じゃダメなんだ。
ドラえもんは友だちだけど、おそらく人間ではないから、あそこまで友だちになれるんだろう。
人間ではないからそこに線引きができていて、こちらも寛容になれるというものだし、憎くても憎みきれずに愛せるのだろう。それは多くのドラえもん的キャラクターも同じことだ。
私にとってドラえもんに近い存在だったのは、去年死んだ犬だった。
犬たちの死を考えると、今でもときどき絶望にも似た喪失感が襲ってきて動けなくなるが、同時に楽しかった思い出もわあわあ出てくる。よくわからない涙が出たりする。
犬たちと言葉で会話をしたことはないけれど、心のどこかで深く繋がっている、人間とはなし得ないコミュニケーションがそこにあった。
触れれば柔らかくて、温かくて、においを嗅ぐとちょっと臭くて、でもそれがなんか心地よくて、寝てたら脚の間に入ってきて一緒に寝て、抱きしめると顔を擦りつけてくれて、喧嘩もしたけどすぐ忘れて、悲しいときに寄り添ってくれた。心だけのコミュニケーションがそこにあった。言葉にしないからこそ、お互いの想いが伝わっていた。犬として頼りないやつだったけど、そんなことはどうでもよかった。いてくれるだけで幸せだったのだ。
ドラえもんの存在も、少しそういうところがある気がする。
ドラえもんは喋るし、毛とかないんだろうけど、のび太とドラえもんの間には、心の深いところで繋がっているものがある気がするのだ。
同じ人間どうしではないからこそ、育まれるものがあると思うのだ。それは、相手の人間くさいところとか、相手を思いやる気持ちとか、そういったことで育まれるんじゃないか。
ひみつ道具を持っているのに、未来から来たのに、どこかおっちょこちょいで頼りないけど、誰よりも信頼できる、人間ではない友だち。
私もそういう、家族でも恋人でもない、人間ではない大切なものがほしい。