私はこれまで何回も禁煙に成功しているのだけど、先週禁煙した時には3日目くらいにイライラしすぎて神社の鳩を嚙み殺そうかと思ったほどだった。
神の御前で鳩殺しするくらいなら喫煙したほうがマシだ。こうしてn回目の禁煙は終わった。
いつからこうなってしまったのだらうか?
いつから、こんなニコ中(ニコチン中毒)になったのだらうか?
禁煙には相応のタイミングというものがある。
よくわからないのだが、気分が完全に禁煙の方向に向かい、絶対に成功させる!という機運の高まりがあって、いくら箱に本数が残っていても、躊躇なく潰してその瞬間から禁煙をはじめることができる、そんなタイミングが存在する。
私の場合、そのタイミングは、卒論を書き終わりしばらく経った頃にやってきた。今年の1月のことだ。もう煙草はいらない。すんなりとそう思えた。私はマルボロの箱を潰し、その日から禁煙をはじめた。
しかし、2月末に父が死に、ストレスに耐えきれなくなり、気付いたらまた喫煙者になっていた。
父が死んで、火葬し、墓に線香を焚いたとき、体がゾワっとしたことを覚えている。地元に帰ってすぐに煙草を買い、何本もふかした。私が父の仏壇に線香をあげたことはないけれど、煙草は父のために何本もふかした。父は嫌煙者だったのだ。
私は会社と恋人の前では煙草をやらないことに決めている。なぜなら、どうしても臭うし、臭いが嫌な人は今どきたくさんいて、ただでさえ肩身が狭いのだから配慮したいものだ。
それに、会社は業務時間内なので、なんかなぁと思う。煙草をふかして金が発生するのってなんかなぁと。
忙しくなにやらしていると煙草のことも忘れてしまうのだけど、業務が終わると帰り道はブログを書きながら部屋で一服することばかり考えてる。
帰ると、物を書きながら、読みながら、音楽を聴きながら、なにかとついつい手を伸ばして炎をたくわえる。よくない。
先週禁煙しようと思ったのは、飲み会で吸いすぎて気持ち悪くなったことと、恋人に「においが変わった」と言われたことが原因だった。
「におい変わったね。煙草やりすぎちゃダメよ」
「におい変わったら、嫌?」
「……うん」
禁煙するしかない。その時はそう思い、3日目の帰り道にコンビニに寄るまではそう心に決めていた。
で、ご存知の通り、鳩を殺すよりかマシ、ということで、誘惑に負けて、やってしまった。
ああ美味いこと。
このために生きたい。おれはね、あの仄暗い炎が好きなんだ。誰にも知られてない星になれた気がするんだ。
そう思いながら惨め極まれり。
でも、煙草はやっぱり体に悪い。
吸い過ぎると血管が収縮する感じがあって、心臓がバクバクし、こら死ぬかもな、と思うことが度々ある。
こんなことで死んでしまったら父以上の恥さらしだ。恋人も悲しむだろう。
煙草で健康を害する覚悟があるとはいえ、恋人を悲しませることはしたくない。
どうすればいいか?
そこで、iQOSを買った。初ボーナスで。
iQOSならば、有毒なタール量を大幅に低減でき、且つ依存性のあるニコチンを摂取でき、それなりに煙を楽しむこともできる。臭いもつきにくい。
健康になっちゃうよ、こんなの。
紙巻煙草は格好つけたい時にたまーにやるようにして、これからはiQOS党でいこう。
iQOSをぷかぷかやっていると、なんだか笑えてくる。自信が湧いてくる。吸うたびに、健康になる気がしてくる。もっといろんなフレーバーが欲しいですねぇ。バナナとか。
この調子で、今後も禁煙活動を頑張りたい。