最近、古文を訳すのにハマってる。
といっても、まだ二つしかやってないけど。
皆さんは古文の授業好きでしたか?私は大っ嫌いでした。
意味わかんないし、助動詞とか助詞とか知らねーし、敬語の向きとかむかつくし、なんか内容がどうこうよりも、試験の問題を解くための暗号解読みたいで嫌だった。
でも、大学に入って古文をやると(私がやったのは近世文学(江戸時代のもの)だったけど)、案外内容が面白くて、なんていうんだろう、現代の小説にはない文体のリズムとか、人物の深堀ではなくて出来事ばかりが書き連ねてあるというのがなんだか新鮮で、高校の古文をもっとちゃんとやっておけばよかったなぁと思った。教育が悪い。
この「出来事」だけを書くというのは近代以降の小説では失われたものだ。というか、それから脱出させたのが近代小説で、文学なのだけど。
文豪たちの努力がここにきて反転したのだ。
私は「出来事」だけを面白がっている。
まあ、文学論は書き出すと長くなるのでまた機会を改めるとして、今日は私が訳した『宇治拾遺物語』のうち最初の1話を掲載したいと思う。せっかくなので。こうして載せないと続きそうにないので。
『宇治拾遺物語(うじじゅういものがたり)』とはなにか、簡単に説明すると、鎌倉時代に成立した説話集である。説話集とは、教訓が語られるものである。以上。
さっそくいこう。
なお、かなり崩して訳しており、訳者の心情まで入れてるので、学習的にはほとんど参考にならないでしょう。
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巻1-1
【道命阿闍梨於和泉式部之許読経五条道祖神聴聞事】(道命阿闍梨、和泉式部のもとにおいて読経し、五条の道祖神聴聞のこと)
登場人物
……お坊さん。阿闍梨とつくくらいだから偉い人なのだろう。
・和泉式部(いずみしきぶ)
……いい女。ほぼ登場しない。
・五条の道祖神
……そのへんの神様。
本文訳
今は昔、道命阿闍梨という、道綱(みちつな)の子で色欲に耽る、要するにろくでもない僧がいた。
和泉式部のところへ通い詰めていた。読経が上手かった。そこそこモテるのだ。
僧は和泉式部といつものようにカラダを重ね、彼女が寝てしまってからまだ興奮冷めやらなかったので、よしここはこうだとばかりに読経し始めた。興奮して経を読むなんて、なかなかユーモアのある奴だ。わからないな。しかし、現代でもミュージシャンだったらピロウトークで静かな歌を歌ったり、詩人だったら詩を編むかもしれない。女はそういうのが好きだ。大工だったら金槌を振るかもしれないし、料理人だったら包丁で捌くかもしれない。女はそういうのが好きなので。
まぁ、そんなわけないだろうけど、そんなわけで心を澄まして法華経を読経し終えたのが明け方。いくらなんでも夢中になりすぎである。さすがに眠くなったので寝ようかな、なんてうとうとしていたら物音がした。
「だ、誰だ!」
道命の声に現れたのは、おっさんだった。というか、おじいさんだった。翁である。
「え・え・え・あ・あ・ああたくしは、せ・せ・せ、じゃない、ご・ご・ご五条せ・せ・せ西洞院のそばに住んでる、お・お・お翁でありんす」
「ふつうに喋れよ。次からそういうキャラでいくならここでぶっ殺すから。勝手に入って来てなんなんだよじいさん。怖いよ、はっきり言って。アルソックどうやってくぐり抜けたんだよ」
翁がアルソックの監視を潜り抜けたのはわけないことだ。なにせ、翁はちょっとしたそのへんの神様なのだから。
「いやぁ、あのぉ、素晴らしいお経が聴こえてきたものでね、ほんとうに感動して、つい立ち寄ってしまったのですよ。今宵、こうして聞けたことは、ほんとう、一生忘れなく有難く思います」
「ふつうに喋れるじゃん」
「はい」
「はい、じゃないが。いや、それにしてもね、おじいさん、僕はこうしていい女と寝てさ、寝るって要するにまぐわうことだけども、ほんとうにいい女なんだよ、はっきり言って名器だよ。自慢だよ。ってそんなことはよくて。
そんでさ、いい女と寝て、いいかんじに読経してさ、気持ちいい夜だったのに、あんたみたいなのが闖入してきてさ、台無しだよ、はっきり言って。読経なんて普段やってることだし、うちの寺に来ればいつでも聴けるんだからさ、なんでわざわざ今夜なんだよ。はっきり言うよ。ふざけんなよ」
道命はヤンキーであった。いかつく睨んで、か弱い翁に対してもまるで慈悲はないのである。翁は若い僧の恐ろしさに震えつつも、このように申し上げた。
「そのぉ、なんていうか、あたくしは普段は聴けない身であるんです。というのもね、どうか怒らないで欲しいのだけど、お経をちゃんと読む前は礼儀として身を清めて読みますでしょ。そうするとね、帝釈天(たいしゃくてん)様とか梵天(ぼんてん)様とか、ものすごぉく偉い人が聴きに来るんですよ。あなたの読経、あたくしたち神々の間でも人気だから。
偉い神様たちがアリーナ席をほとんど占めていて、あたくしみたいな三流の、庶民みたいな、奴婢みたいな神は、2階席どころかチケットすら取れなくて、普段は音漏れしか聴けないんですよ。チケットを高額で転売する不遜な輩もいましてね。そういうのに手を出すと輩はいい気になるから、それだけは絶対にやめようって。
だから普段はあなた様のライブを聴けないんです。はっきり言って」
「あら」
「そうなんですよぉ」翁は一気に喋ったのでひとつ咳をして、また続けた。「それでですね、今宵の未予告ライブでは、道命さん、シャワー浴びなかったでしょう?体から女のにおいがぷんぷんするんですわ。だから、梵天様も帝釈天様も今夜は来てなくて、夜遅いというのもあったんでしょうけどね、おかげで翁はこうして、楽しめたわけですよ。有難いです、はっきり言って」
「おい、ちょっと馬鹿にしてるだろ。口癖真似しやがって」
「うつっちゃった」
「うつっちゃった、じゃないが」
と、いうわけで。
お経や念仏をちょっと読むにしても、必ずシャワーを浴びる、歯を磨くなどの身を清める配慮をしなくてはならないのだ。でないと、五条道祖神の翁のような有難くもなんともない神さまばかりやって来て、偉い神さまには聴いてもらえない。
「念仏と読経は、四威儀(しいぎ)を忘れてはならぬ」と、恵心の御房という偉い方も戒めなさっている。皆も四威儀、すなわち、行・往・坐・臥、の4つの作法を実践しよう!
おわり
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かなり脚色しちゃったな。
原文がどんな感じか知りたい人は、ちゃんと読んでください。
またいずれやります。