くらげは人気の生き物だ。
水族館という海洋生物を主に展示している施設へ行くと、決まってくらげが水槽を漂っている。
(写真がとても下手)
不思議な生き物だ。
じっと見ていると、生き物なのか?と疑問が湧く。
肉眼では目らしきものは確認できないし、えらもどれなのかわからない。スケスケだから内臓とか構成物質がすべて見えるわけだけど、それらしいものまで透けているので「空虚」としか言いようがない。
水が固まって生命を持ったみたいだ。
その漂う姿は(決して泳いでいるとは言い難い)癒し効果があり、大抵の水族館ではくらげコーナー薄暗く雰囲気のある演出がされていて、ぽわわーんとしたヒーリング音楽が流れていて、そのなかを人々は水槽から水槽へ漂っている。
くらげコーナーを忙しなく移動する人はあまりいない。よっぽど興味のない人くらいだろう。
多くの人はLSDで微睡んでいるような目をして涎を垂らし、失禁をし、あるいは高笑いしながらくらげ水槽を見て射精などしている。いい具合にトべるのだろうか。そんな水族館は嫌だ。
謎めいた形態、ファンタジーでもありミステリーでもあり、なんだか私たち人間とは異なる次元の存在の生き物に見えてくる。
ものすごく愚かにも見えるし、とてつもなく賢そうにも見える。
沈黙は華。くらげたちは何の価値観も意味も持たず、いい感じの水流に身を任せることだけを楽しみにしているから、なにでもなく美しいのだろう。そのかわりに毒がある。美しいものほど危険なのは、なにも同じだ。
そんなことをくらげコーナーにいるといくらでも考えてしまうので、ぜんぜんリラックスできない。私の心は忙しなくなる。
触手をだわーっと垂らしているくらげには、恐怖さえ覚える。あの毒手で魚を絡めとり、少しずつ、痛みも感じないほどにゆっくり、永遠とも思える疑似的な快楽の中で殺されるのを想像する。水の精霊にちょっとずつ吸収されて、最期は私も透明になるのだ。
また、くらげはくらげ全体で心臓に見える。
体のすべてが心臓となって生きているのだ。心臓が漂っているのだ。じゃあ、肉体全体を動かしている、核はどこにあるのだろう?
ない。見当たらない。
透けていて全然わからない。
なんなんだこいつは、と怒りたくなってくる。理解の範疇を超えている。
くらげの中には光るものもいて、こうなってくるともう生物には見えず、宇宙船のように見えてくる。
本当に生き物なのだろうか?
「生きている」と言っていいのだろうか?私の知らない「生きる」かたちが水槽の中を無数に漂っている。
Wikipediaで調べてみると、くらげは死ぬと水になるらしい。また、永遠の命を持っているものもいて、ひたすらに分裂を繰り返しているらしい。
なんなんだ????
このような具合に、くらげをみていると思考が活発化してまったくリラックスできないため、私はくらげコーナーを足早に去ることにしている。