蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

私のメンタルヘルスケア

 朝起きて、ふざけんなと言ったのは、堪えようのない暑さのせいだったし、それから慢性的な肩こりと、朝起きたということは仕事に行かなければならないという憂鬱のせいだった。

 平日、仕事のある日は肩が異様に凝っている。

 デスクワークのせいだろうか?それにしても金曜日家に帰ると肩こりはすっかりなくなるのだから不思議だ。自律神経がやられているのかもしれない。また、わけのわからない発疹があったり、ニキビがにこやかに出てきたり、口内炎が立て続けにできている。

 完全に、やられている。

 心は丈夫なつもりなのだが、深層心理は脆脆(もろもろ)で、見事にストレスが肉体にでてきているではないか。

 仕事はつらいというよりもまだやりがいがなくて、最近は季節の果物を使ったジャム屋さんになる妄想をしながら定時になるのを5秒おきに時計を見つめてただ待っている。

 ふと、これはいつまで続くのだろう、と考えるともうだめだ。

 いつまで続くのだろう、じゃねぇよ。

 50年くらい続くんだよ。要するに一生のほとんどだよ。諦めろよ。

 

 結婚して子どもとかできたらまた変わるのかな、なんて思う。

 宇宙の広大さと時間の長さに比べたら。誕生してからとめどなく動き続けている海の尊さに比べたら。人間の営みなんて・こんな仕事なんてチッポケなもんだよなぁ、なんて考える。

 考えてもしょうがないことを考えていると、肩がきしきし痛む。

 

 先週の休日に恋人と箱根へ旅行した(だからブログを2日間休んだ)。

 惚気話になってしまうけど(えへ)、私は私の恋人が大好きである。

 私がなんとか生きていられるのは、私が死ぬと恋人が悲しんでしまうからであって、死なないで生きようと思えるのは恋人とできるだけたくさん笑ったり、美しいものを見て感動したり、美味しいものを食べたり、一緒に泣いたり怒ったり、セックスしたり、手を繋いだり、遅くまで電話したり、なんて他愛ないことをしたいからである。

 彼女と週末会うと一週間の疲れが吹きとんで、来週も頑張ろう、来週会うために、と思える。

 恋人は私のメンタルを癒してくれる。

 べつに悩みを打ち明けてどうにかしてくれるわけでもないし、喝を入れてくれるわけでもない。ただ、一緒にいるだけで、仕事で忘れていた大切な温度と居場所を蘇らせてくれる。

 こんなに尊いものがあるだろうか、と思う。

 旅行の帰り際、あまりの淋しさに私は泣いてしまった。男の子なのに。

 

 

 月曜日、恋人がそばにいないということと、また長い一週間を耐えなくてはならない苦痛の重さに完全にやられそうになった。

 また、たちの悪い口内炎ができていて食べることはおろか、飲むことも喋ることもままならなかった。

 神様に嫌われているのかもしれない。私は世界でいちばん不幸な人間なのだ。

 父親は死んだし、その父親の遺していった因果関係が相続によって噴出して相続地獄にドはまりしているし、母は神経症気味だし、妹は自閉症だし、叔父は重いうつ病で気が狂っているし、父が私に遺した呪縛ともいえるコンプレックスの数々は、仕事から帰っても私の肩を痛めつける。

 月曜日の朝の電車の中で、もうサボったろか、と思った。

 サボってもいいのだ。行くところなんてどこにもないけど。

 

 でも、サボるくらいなら家に帰って小説を書きたいと思った。

 そういえば最近小説を書けていなかったな。書くのはブログで精一杯だった。書こうと思っても、作品が脳内にあっても、文字として画面上には浮かんでこなかった。

 小説を書くたびに私は上手く書こうとしすぎて、ほとんど書けなくなっていた。

 いっそ上手く書こうとするのをやめて、思うままに書こう。あとから直せばいいのだ。

 そう思って、猛烈に小説を書きたくなった私、はとりあえず会社に行くことにして、会社に行ったからには帰るのが面倒なので仕事をして、夜に小説を書くことだけを楽しみにその日を励んだ。

 

 帰宅後、ブログを書いて、そのまま小説を書いた。

 ずっとずっと脳内にあった小説を出力した。文字となったそれは形になっていくとさらに私の内で膨れ上がり、宇宙よりも広いものを私に見せてくれた。

 楽しい。

 なんだこれ、書くの楽しいな。

 1000字くらい書いて、今日はこれまでだと見切りをつけて眠ったら朝まで目覚めることはなく、何の夢も見ないで、驚くほど疲れが癒されていた。

 次の晩も同じくらい書いて眠った。心が癒されている感覚があった。

 

 恋人と手を繋いだ時と同じように、忘れていたなにか温かなものが胸の内で広がって、血管が広がり全身の隅々まで熱が踊る、たぎる。そこは私の居場所だった。

 

 

 私にとって大切なものとは、恋人と、書くということだった。

 あらためて気づいた。わかっていたつもりだけど、あらためて気づいたのだ。

 自分の大切なものを知っているということは、他の何よりも確たるものである。それがあるだけで、心が居場所を持って、安心できる。

 自分の大切なものを愛するということは、自分を愛するということだ。

 私はもっと自分を愛したい。

 

 みんなもご自愛してね。