蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

白くて儚い いびつな女の思い出

 校のとき、背が低くてちょっとオタクみたいだけど平均的な顔立ちの、成績も普通の男子がいた。

 びっくりしたのだけど、彼には恋人がいた。隣のクラスの根來(ねごろ)さんだ。

 「根來さん」は仮名だし、ほんとうの名前は忘れてしまったのだけど、覚えている彼女の顔立ちは「根來さん」って感じだった。

 肌が白くて、髪の毛は品の良い天然パーマでくるりと幼さが残っており、笑顔がチャーミングだった。特別可愛い女の子ではなかったけれど、良い意味で平均的で清楚な印象だった。それがクラスの冴えない男子の恋人となれば、嫉妬心からか羨望からか、なんだか可愛く見えてくるというものだ。

 恋人のいなかった高校生時分の私は、チビの彼がとても羨ましかった。

 どういったチャンスの巡り合わせであんな素敵な女の子と手を繋げるのだろう。キスとかしたのだろうか。それ以上のことをしたのだろうか。

 性の飽くなき探求心を持つ修行僧だった童貞の私は、そんなことを悶々と考えては苛立ちにも似た劣等感を抱えていた。

 

 だけど、根來さんに関する良からぬ噂をその後耳にして、彼と彼女に対する見方を羨望から憐憫、そして蔑みに私は変えることになる。

 

 根來さんは、とんでもないビッチだった。

 アバズレ女だったのだ。

 クラスの男子たちは根來さんのヤバイ噂を話し、チビがさっさとそんな女から離れるべきだということを忠告していた。私はそれを、机で寝たふりしながら聞いていた。

「根來さん、いま野球部のやつと、あと下のクラスのテニス部とも付き合ってんだろ?お前もそれわかってんなら、おかしいって。お前それでいいのかよ?」

 チビは何も答えなかった。

「お前良いように利用されるだけだぞ」

 その通りだ。そんなろくでもない女とはさっさと別れるべきだ。

 チビに忠告していた男子は、彼とは中学からの付き合いでお互い気心の知れない仲であった。冷たくも聞こえる忠告はそんな旧知の友だちなりの心配だったのだ。

 

 でも結局、チビは根來さんとは別れなかった。

 

 根來さんがどれだけやばい女かということは、男子はみんな知っていた。

 なぜなら、根來さんで童貞を卒業した他クラスの男子が噂の出どころとなって、それが立て続けにいろいろな人から同じように立ち上り「童貞を卒業した。乾杯」と話されるため、結果として彼女が同時期に何人と付き合っていたのか、あるいは何人をセフレとして持っていたか、判明するというわけである。

 私が知っている限り、根來さんは同時期に5人の彼氏を抱えていた。毎週末だれかとデートしたり、毎日異なる男と帰っていた。驚異的なタスク管理である。仕事ができるに違いない。余談だが、彼女は成績もすこぶるよかった。

 あのお嬢様みたいな育ちのよさそうな女の子が、勉強はできるけど病弱そうで笑顔がチャーミングな背の低い女の子が、そんなビッチだなんて不思議な感じがした。歪んで見えたし、ある意味ではまっすぐなようにも見えた。

 

 根來さんが常に一人、変わらずにキープしている男子がいた。それがチビだった。

 チビは完全に、彼女に飼われていた。

 多くの男子が根來さんによって童貞を卒業したにもかかわらず、2年以上付き合っている彼は童貞のままだったのだ。

 ある日ほんの唇が触れる程度のキスをしたら、その思い出の濃度が薄くなるまでその先に進ませてくれない。時間が経ったら、もう少し濃いキスをさせてくれる。制服の上から乳を触らせてくれる。そしてまた、その感触が希釈されるまでその先に進ませてくれない。3年の秋までチビは根來さんの乳首を拝んだに過ぎなかった。

 根來さんは男子の純情な欲望をうまく利用して、チビを支配下に置いていた。チビが少しでも彼女に逆らおうものなら、数週間彼とのコミュニケーションを断絶し、彼をひどく落胆させ絶望の淵に追いやり、その間に他の男と遊んで、飽きたらチビに甘く囁いて、彼女に従順になるまでそうやって調教する。思いきりチビを甘やかしてやり、ほんの少しだけ行為を先に進めてやる。そうやって完璧に飼いならす。

 こう書くといかにも嘘くさいけど、私も書いていて信じられなくなった。まるで谷崎の痴人の愛みたいじゃないか。

 こんなことあり得るのだろうか?17歳くらいの少年少女で。

 でも、現にそうだったのだ。

 チビは根來さんのペットになっていた。思春期男子の性的な劣情を利用されて。

 根來さんに対する純情を利用されて。

 

 

 卒業して、根來さんとチビがどうなったのか私にはわからない。

 どうだっていいし、陰者だった私には関係のないことだ。二人の名前だって忘れてしまったくらいなのだ。

 今興味があるのは、根來さんがどうしてそんなビッチになってしまったのか、ということである。そしてチビへの歪んだ愛みたいな、興味本位みたいな、無邪気な惡の華についてである。

 彼女は結局どうしたかったのだろうか?

 チビはどれだけの屈辱を受けたのだろうか?

 

 深く考察していけば、文学作品になりそうだ。

 虚構は現実からしか生まれないし、虚構は現実には敵わない。