気圧が下がると頭が痛む。
低気圧が小笠原諸島のあたりにいると自然と頭痛がしてきてそのうち立っていられなくなる。
頭痛がすると数日後に雨が降ることがわかるので、時代が時代だったら私は「雨読み」として村を統べていたかもしれない、と思うと、生まれた時代を間違えたようだ。だいたい、現代は頭が痛くなることばかりなのだ。
しょっちゅうそういった具合に頭痛がするものだから、これはもう持病のようなもので、ロキソニンが手放せない。
ロキソニンとは、神の薬である。
痛みを忘れさせてくれる。幸福になれる。天国が見える。
嚥(の)みすぎると胃が荒れるのだが、一線超えた私は胃が荒れることはない。むしろ快調だ。
出かけるときはいつもロキソニンを持ち歩いていて、それが鞄のポケットに入っているだけで心強く、なんでもできそうな気がしてくる。空だって飛べるんじゃないかって思う。
だけど、「ロキソニンを忘れた」事実それだけで私は不安になり、途端に頭痛に陥る。ない!どこにもない!くそ!忘れたんだ!まぬけめ!どうするんだ!ほら早速頭が痛くなってきた。もうだめだ。憂鬱な一日になるんだ。終わった。って。
半ば狂乱してバファリンを薬局で買い求め、嚥む。
こんなもの効くわけがないのだ。神の薬じゃない。人間が作り出したものなんて……。しかし以外にもバファリンは効いて、不安性の頭痛を和らげてくれるものだから、人間だって捨てたもんじゃない。
私はある種の中毒、あるいは心の病なのかもしれない。
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これは恥ずかしくて、数少ない親しい友達にも言ったことないのだけど、中学生の頃の私は「気圧」を集めていた。
空の2リットルペットボトルを台風の日に外に出して、中に空気を溜めて、蓋をする。
それだけなのだが、意外とおもしろくて、日によって気圧差でペットボトルの膨らみは変わり、数本集まると日毎に握りしめた反発感が異なり、ああ、この日は気圧が低かったんだナ、この日はかたいナ、と悦に入ることができる。
5本分くらい集めたところで、部屋には虚無が立ち並ぶことになる。
ある日ふと自分は何をやっているんだ?こんなもの虚無じゃないか、と怖くなって捨ててしまったのだけど、今思えば取っておけばよかった。あの日の空気は二度と戻らないのだ。
ひょっとすると将来は天才科学者にだってなれたかもしれない、その片鱗のある趣味は、瓶に猫の首を集めるよりかはよっぽど趣味がいいけど、気味が悪いのには変わりない。
そういうことをしている自分が格好良いと思っていた。
気圧を集めるのが好きなのではなく、自分が好きだったのだ。しばしば、そういうところがある。
昔のよくわからない話をしていたら頭が痛くなってきた。
ロキソニン嚥んで寝よ。