蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

ゴミ収集車、夏を駆く

  ミ収集車に関して私が語れることは果たして少なく、魅力を伝えようにもゴミ収集車マニアでもないため、あれはいったいどの会社が製造しているのか、型番は何なのか、どういった構造になっているのか、など詳しいことは書けないのだが、それでも今日はゴミ収集車について語らせていただくことをお許し願いたい次第。

 こういったことはマツコの知らない世界あたりで特集してくれそうだが、その日を待つのも時間が惜しい。人はいつ死ぬかわからないのだ。

 ぜんたいな、ゴミ収集車の魅力を詳しく語ったところで「私もゴミ収集車が愛しくなりました」なんて言う人はいるわけないだろが。

 だから特集される日は来ない。永遠に。

 

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 私は幼いころからゴミ収集車が好きだった。

 だけど、「ゴミ収集車が好き」ということはちょっとした異端であることをはやくから悟っていたので、そのことはあまり声を大にせず、ごく親しい友人にだけ告白していた。

 

「僕はゴミ収集車が好きなんだ。あすこでゴミを呑み込んでいるゴミ収集車が好きなんだよ。あの、後姿が堪らないんだよ。だから、頼む、少しここでゴミ収集車観察に付き合ってくれないか。この電柱の陰からさ。君の悪いようにはしないから。独りじゃ恥ずかしいし、こんなところ本校の者共に見られたら僕の評判は終わってしまう。いちおう生徒会長だからね。『会長がゴミ収集車を電柱の陰からストーキングしていた』なんぞ伝聞されたら、どうなるかわかるね?君は賢い。……なんだいその目は。いや、独りで評判落ちるの嫌だから君を巻き込もうだなんてそんな魂胆あるはずないじゃないか。え?君はそんなこと考える男だったのか、汚らわしっ。僕がそんな邪なこと考えるわけなかろうもん。……なぁ、友だちだろう?僕たち。君の力が必要なんだよ。まだその目を続けるのかい?……やれやれ……勘のいいガキは嫌いだよ」

 

 こうして私は友だちをひとり、またひとりと失っていったのだった。

 

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 ゴミ収集車はうるさいし、臭い。

 酸っぱいにおいがするところが汚物のリアリティを感じさせる。

 いかにも醗酵(はっこう)していて、よからぬ黴菌(ばいきん)がうようよいてそうで、見た目も格好良いとは言い難い。

 良いところといえばゴミを回収してくれることくらいで、その機能にすべてを費やしているゴミ収集車なのだが、しかし、そういうところが愛しい

 

 あの後姿が可愛い。

 

 無骨な甲虫かもしくは太った犬のようで、のろのろ走るさまは嫌々散歩させられているようにも見える。

 ゴミ収集員が収集車の両脇にしがみついているのもなんだか微笑ましい。まるでヤッターマンみたいではないか。

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 ゴミ収集車とヤッターワンを一緒にするな!って声が聞こえる。

 

 綺麗に磨かれた汚(けが)れないゴミ収集車などといったものは、完璧な絶望と同じように存在しないものだが、そこがまた良くて、汚れながら仕事をする姿、必死にゴミを呑み込む姿は、汗水たらしているようで、てきぱきと労働に勤しんでいるものはなんと尊いのだろうと慈しみの気すら湧く。収集員も汗水たらしている。夏はひとしおだ。

 そうやって乗り物と働くと、まるでパートナーのような関係になっていきそうで、物語が広がる予感がする。『ONE PIECE』のゴーイング・メリー号的な。

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 メリー号とゴミ収集車を一緒にするな!って声も聞こえてきたな。

 

 ゴミ収集車がゴミを呑み込む姿は圧巻だ。

 ゴィーンゴゴゴ、と空が割れるような音と共に、芥(あくた)の数多は機械の奥の、底知れぬ闇へ姿を消していく。

 傘なら背骨から折られ、ぬいぐるみは綿を腹から噴出し、生ごみの入ったビニルは破裂して臭気を拡散し、もしこれに人が呑まれたらひとたまりもないな、と恐怖する。

 あの呑み口の奥は一筋の光も差さない闇なのだろう。口を開けたときに中の様子がちらりと見えるが、そこは死屍累々の光景で、ゴミ置き場が物物の墓場だとしたら奥は「地獄」になっている。

 あの善も悪もいっしょくたに嚥下(えんげ)する光景は、死、だ。

 

 死。

 

 メメント・モリ。死を想え。

 

 ともすると私は幼いころから死に惹かれていたのかもしれないが、ともすると一線を超えていきそうな危うさはエキサイティングそのものであり、私は「危険」と「遊び」の切っては切れない関係性を既に知っていたということになる。

 

 フランスの哲学者カイヨワは「遊び」と「死」を結び付け、死にむかっていくエクスタシー(絶頂)と焦らしが止めようもなく快楽を誘うと論じていた(気がする)。

 それはギリシア神話イ―カロス・ハイと似ているし、思えば我々人間はセックスや飲酒、薬物の乱用、音楽や舞台などでそういった「死」へのエクスタシーを感じているのだ。

 詳しくて正しい知識ではないのでここまでとするが、要するに幼い私はゴミ収集車にある種のエクスタシーを感じていたことになる。とんでもない子どもである。

 

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 皆さんもゴミ収集車を眺めて快楽に浸ってみてはいかがでしょう。

 夏は格別です。