蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

もう一度会える夏

 の間、お盆の最初の夜に昨年亡くなった犬が夢に出てきた、という話をした。

 お盆の終りにも犬は夢に出てきたのでその話をしよう。

arimeiro.hatenablog.com

 

 挨拶に来てくれたのだ。

 帰ってきたよ~って。

 挨拶に来てくれたのだ。

 そろそろ行くね~って。

 

  ↓

 

 うちには2頭の犬がいた。

 16歳と11歳でそれぞれ昨年、亡くなった。

 11歳は秋に、16歳の方は年末だった。

 三か月で2頭を喪う、ということがどれだけの喪失感を我が家にもたらしたか想像に難くないだろう。

 その後、今年の2月にかつて父だった男が死んだ。うちは半年の内に、革命のように身内を半分喪ったのだった。それはほんとうに革命で、人生の転換点のひとつだった。おかげで今大変なことになっている。

 

 犬たちのいたころは幸せだったね、と母はよく漏らす。

 家に帰れば犬がいる。年老いてずっと寝ていても、介護が大変でも、医療費が大変なことになっていても、一日おきに病院に通わせなくてはいけなくても、それでも犬がいた頃は幸せだった。

 なにせ、犬がいるということは、幸せが家にいる、ということと同義だからだ。

 今、家に幸せはいない。彼らのいた思い出や、彼らのつけた床の傷や、まだ微かに残っているにおい、それからなぜか服についていた一本の体毛から、私たちは藁にすがるような幸せを感じる。

 

  ↓

 

 お盆の最初に私の夢に出た犬は16歳の方で、彼女はきわめてかしこい犬だった。

 芸を仕込んでいたわけではないからお座りくらいしかできなかったのだが、なにかと要領が良かったし、一度もトイレ以外でお漏らしをしたことはなかった。活発で、よく走ったしよく食べた。だから長生きしたのだろう。人の心を思いやる気持ちがあって、表情豊かだった。その顔を見つめているだけで、なにか悩みが晴れるような心地がしたものだった。

 

 お盆の最後に夢に出てきた犬は11歳の方で、彼はきわめてまぬけだった。

 芸を仕込んでいたのにまったく覚えなかったし、すべてにおいて要領が悪くビビリ屋で、何度教えてもトイレを覚えず、結局死ぬ直前までトイレにホールインワンするおしっこをした姿は見なかった。日向ぼっこが好きだった。だっこされるのが好きだった。他の犬のことを恐れていた。表情は乏しく、何を考えているのかまったく掴みどころのない不思議な犬だった。

 私の家族同様、彼は頭のネジが数本緩んでいて、犬というよりか猫のようだったし、言い方は悪いかもしれないけど、人間で言えば白痴、というか、要するにそんな感じであった。

 だけど彼の行動にはなんの外連味(けれんみ)もなくて、どんな犬よりピュアだったし、そういうところに癒され、可愛かった。

 

 お盆の最後の夜に夢に出てきた、と書いたが、あれは嘘だ。

 正確には、お盆から一日過ぎた夜である。

 

 宅配便で大きい段ボールが届いて、開けると丸い毛の塊が入っていた。

 なんだと思っていると、毛はくるりと回転して犬の姿になり、ててて、と家の中を歩いていった。

 ウロウロしたり観葉植物に寄りかかったりソファからソファへ跳び移ったり、なにがしたいのか全くわからないどころか、私の呼びかけにも反応しない。

 「おいで」

 聞こえてないフリ。おかしいな。もっと懐いてたはずなのだが。

 母がピアノを弾いていた。犬は母の足元に巻き付いて、立ち上がり前足で母の腿をがりがりやっていた。母は犬をだっこし、赤ん坊にするように体を揺らして、犬を眠りにつけた。

 彼は赤ん坊みたいだった、生涯。

 犬らしい獣臭は一切せず、ミルクのようなにおいがした。だっこされるとすぐに眠ってしまった。

 不思議な犬だったなぁ、と思う。今でも。

 

 お盆の明けた一日後に挨拶に来るというのも、頭の抜けた彼らしい。きっと、遅れてしまったのだろう。

 彼は無事にあの世に還れたのだろうか?あっちの世界で他の犬とうまくやっていけてるのだろうか?あっちの世界は彼の好きな日向が多いといいのだが。病気の痛みがないといいのだが。

 

 夢で見た彼は相変わらずやせっぽちだったけど、元気そうだった。

 でも、あの世が嫌だったら、ずっとここにいてもいいのだ。

 

 還らなくてもいいんだ。ずっとここにいていいんだ。