最近はウェブメディアの「オモコロ」をよく閲覧してる。
オモコロを見ていると、どんなに辛いことがあっても記事を読んでいる間だけは現実を忘れることができて、癒し、ではないけど麻酔のような効果があり、しかも中毒性があって、そこに私はハマり、抜け出せなくなってしまった。助けてくれ。
オモコロにははてなブロガーのARuFaさんも所属していて、あんな感じのオモロ記事がいくらだって読める。
オモコロはYouTubeのチャンネルもあり、内容は記事のYouTube版なのだが、記事を書いている人が画面の中で動いているのがいちファンとしてとても嬉しい。
ARuFaさんとダ・ヴィンチ・恐山さんのやる「匿名ラジオ」とオモコロチャンネルばかり見ているので、「次の動画」欄にそれしか出てこなくなってしまった。助けてくれ。
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インターネット麻酔でドーズオーバーしそうな日々の中、ついに私は夢の中でダ・ヴィンチ・恐山さんに会うことができた。
恐山さんは小説家としても活動しており、その言葉センスには時々目を見張るものがある。「ない話」をするのが得意で、よくまぁあれだけスラスラと「ない」ことが浮かんでそこに絶妙な比喩や言葉を乗せられるよなぁと思う。新時代の落語家の卵みたいだ。
私がいちばん好きなライターのひとりだ。
その恐山さんが、私の夢に出てきた。
夢に出てきた恐山さんは本棚が四方に敷き詰められた地下室みたいなところにいて、その中央に据えられた椅子に座り、本を読んでいた。
うわぁ、恐山さんだ。
喜びとも恐怖ともつかない得も言われぬ感情に動けなくなる。
読書してる。こんなところで。なにか面白いこと言ってほしいな。でも本を読んでるなら邪魔するわけにはいかないよな。そう思った私は、隅の方で、自分で持ってきた本をポケットから出し、チラチラと恐山さんを観察していた。
すると、彼は読み終わった本を棚に戻さず、その場でページをちぎって食べ始めたのだ。
?!
むしゃむしゃむしゃむしゃ、山羊のように食べる。紙は飴の膜のように薄くて軽くて、いくらでも食べれそうだった。一文字もこぼすことなく一冊食べ終えると、恐山さんは立ち上がり本棚へ次の本を選びに行った。
なんなんだこの人は。
でも、オモコロのライターならこのくらい平気でやるかもな、と妙に納得してる自分がいる。
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話は逸れるが、この「ページを食べる」というのは、私の曽祖父の習慣だったという話を、母から聞いたことがある。曽祖父はなんでも学者先生だったらしく、ドイツ語の辞書の編纂に携わった人で、毎晩眠る前に辞書を読みこみ、覚えたページをちぎって食べていたらしい。シンプルな狂人である。
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また黙々と読み始めた恐山さん。その口元には笑みを浮かべている。
いったいさっきから何を読んでいるのだろう。どの本も厚い表紙で、赤茶色く煤けている。図書館にあるような古い本だ。
背表紙には何も書いてなくて、一冊手に取るととても重い。表紙も無地だ。布のカバーがかび臭い。
ページをめくる。そこで私は扉に書かれているものを見て、ぎょっとした。
恐山さんは笑みながら、読んだところからページを食べていく。無垢な山羊のように。
こいつ、早く止めなきゃ!
「ちょっと」
私が言うと、恐山さんらしきものは口を止め、ジッと私を見据えた。
それから食べるのをやめてくれたのだが、私は正面の本棚を見て気絶しそうになる。
本は既に、棚一つ分、食べられていたのだ。
本の扉には、ただ小さく私の名前が書かれていた。
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夢の中で私は「何」を食べられていたのだろうか?
閉塞感のある地下室、私の名前の書かれた本、ダ・ヴィンチ・恐山さん。
「オモコロ」という麻酔に人生という「時間」を貪られているということなのか?でもその説明ではなにか釈然としない。
考えるほど怖いので、とりあえず「オモコロ」で麻酔して忘れようと思う。