蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

ぺあうぉっち

年の冬、1月か2月か、あるいは3月だったかもしらん、我々恋人はかねてより望んでいたペアウォッチを購入した。

 

ペアウォッチとはなにか。

ペアのウォッチである。

 

二つの時計はつがいになっていて、片方は私が、もう片方は恋人がそれぞれの腕に装着し、離れていても同じ時を刻んでいる優越感を味わうための腕時計である。

 

話は少し逸れるが、ペアウォッチの概念を発明したのは、何を隠そう、である。

去年の秋だったと思う。私は思いついたのだ。「ペアリングってあるじゃん。恋人同士で同じ指環をつけるみたいなやつ。あれのさ、時計版があったら売れるんじゃないかな。恋人同士、離れていても同じ時を刻んでいられるんだよ。ロマンチックじゃないか。絶対売れる。つか、欲しいな。でも売ってないだろうしさ、二人でちょっといい感じの時計探して、お揃いにしようよ」私は鼻の穴を膨らませて恋人に言った。

あるよ

「え?」

「ペアウォッチ」

「どゆこと?」

「既に時計メーカーがそういうコンセプトのもと売り出していて、いくらでも売ってるよ。昔から」

「あそうなの……」

 

ふた足くらい、私の発想は遅かった。

だけど、私は「無」からペアウォッチを思いついたのだから、凄いものだ。凄いだろう。"ここ"が違うのね(頭を指差してトントンと叩き、鼻を膨らませる)。

 

 

さて、そんなわけで二人に似合う揃いの時計を探したが、なかなか見つからなかった。というのも、似合うタイプがまるで逆だったのだ。

私は黒い大きな文字盤が似合うのに対し、恋人は白い小さな文字盤が似合った。そしてお互いに相手のタイプはそれぞれまったく似合わなかった。

いい感じに似合うペアウォッチを探すまでに半年以上かかった。

あるときは丸一日使って原宿、表参道、渋谷、新宿と時計屋を巡ったが、納得できるものには出会えなかった。

そもそもペアであるからにはデザインが二つとも統一されており、そうなるとどちらかが似合わなくなってしまうのだ。

 

二律背反。

 

もう諦めて似合わない時計をつけるか、それぞれ好みの時計を選びそれをペアウォッチと思い込むことで済ませるか、あるいは時計なんかまどろっこしいことはやめて、結婚するか。そんな段階まで来てしまったときだった。

運命的なペアウォッチと出会った。

男の方は文字盤が黒くて大きく、女の子の方は文字盤が小さくて白いのだ。まさに、私たちのためにあるようなペアウォッチだった。

文字盤の裏に同じ刻印が彫ってあり、一見するとペアだとはわからないが、そういう品の良さがまた気に入った。即、購入。装着。

 

 

その時計は、仕事のときに着けている。大人しいデザインなのでどこでも似合うのだ。

仕事柄ずっとパソコンを見ているから時計なんてモニターの隅の時刻を見れば済むし、オフィスに時計もかかっている。

普段、時間はスマホで見れるから、はっきり言って腕時計なんて、もう時代遅れなのかもしれない。

 

だけど、私は毎日、愛らしいその時計を身につけて、会社へ行く。

 

私は時計で時刻を確認しているのではなく、同じ空の下で同じ時間を刻んでいる恋人を想うために、左手首を見つめるのだ。

ふとしたときにそうすると、励まされたり、心強かったり、自分を見失わないようになる。

愛する人がいるということがどれだけ生きる希望になることか、十代の絶望に打ちひしがれていた幼い自分に教えてやりたい。

 

 

ところが、今日はなぜか時計を忘れてしまって、一日不安だった。

だからこそ、時計を見ないまでも、恋人を想う時間が多くなり、仕事中ニヤニヤしていたので、先輩に「疲れてるのか」と心配された。御無用である。

 

いや疲れてはいるのだけども。