「のび太はいいよな、ドラえもんがいて」
『ちびまる子ちゃん』でまる子が小憎たらしくそう言っていた。メタ発言である。
そのとき まる子は便利な道具欲しさにのび太を羨ましがったし、当時ちびまる子ちゃんを読んでいた私も、便利道具欲しさにドラえもんを欲したわけであるが、今になって思うことは、ドラえもんのような存在がいたらいいな、ということだ。
この話は以前もした気がするけど、書いた私も忘れていたので読者の皆さんも忘れているはずだ。忘れていてもおかしくない。私のおもしろわくわく感動ブログの内容なんて、忘れてくれて構わない。許さないけど。
冗談はほどほどにして、ドラえもん的存在が部屋にいたらいいなぁと思う。
のび太は便利道具ではなく、ドラえもんというかけがえのない親友を得たのである。その証拠に、無数に存在する秘密道具のほとんどがたった一度の登場で影を潜めるのは、物語が道具に焦点を当てているのではなく、ドラえもんの存在とのび太の関係にフィーチャリングしているからである。
「ドラえもーん」とのび太が泣きつく。
ドラえもんは「やれやれ、またジャイアンにやられたのかい」と呆れながらものび太の話を聞き、「やれやれ」とまた村上春樹よろしく呟いて、ジャズを聴きながらのび太を諭し、道具を貸してあげる。
そうしてのび太はジャイアンを懲らしめるが、それに幅を利かせたのび太はしずかちゃんに自慢して道具を悪用、懲らしめの罰が巡り巡ってのび太に返ってくる、というパターンを数万回は見た。
道具が悪いのではなく、使用者が悪いのだという教訓を含んでいる。
そうしてまたドラえもんは呟くのだ。「やれやれ」と。
「完璧な道具などどいったものは存在しない。なぜならそれを作ったのは、完璧ではない人間なのだから」
それにしたってドラえもんは優しい。
ただ甘やかすのではなく、のび太のことを想って叱るし、のび太の悩みを聞くし、のび太を冒険に連れ出して成長させてくれる。
こういう愛のある存在は、人生のかけがえのない存在になるだろう。羨ましい。
ドラえもんはロボットだ。ロボットとしてのプログラムがあり、スーパーコンピュータ並みの演算処理がはしって、のび太の行動と言動からコマンドが動いて、状況に合った言葉をかけたり、道具を出してくれているのかもしれない。
そう考えると、どこか冷たいものだ。
だけどロボットなんだからそうなんだろう。
しかし、私たちがドラえもんを読んでもそう冷たく考えないのは、ドラえもんがどら焼きやモチを美味しそうに食べてゴロゴロしたり、恋をしたり、笑ったり泣いたり怒ったり悪態をついたり、じつに人間らしい面を見られるからだ。
それだってプログラムなのかもしれない。
なるほど、そうなってくると、ロボットとして不合理で不完全な部分をあえて作っているとしたら、それは不完全をも包含した完全なわけで、ドラえもんの言葉は覆されることになる。
「完璧な道具などどいったものは存在しない。なぜならそれを作ったのは、完璧ではない人間なのだから」