蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

「気をつけて」のおまじない

 学のとき、同級生の彼が大きな交通事故に遭い、入院した。

 どのくらい大きな事故だったかというと、彼は頭を打ち、記憶を失くしてしまった

 数学や英語のことは覚えているし、自分の名前などは憶えていたのだけど、部分的に、かつ大胆に、友だちのことや記憶や思い出のほとんどを忘れてしまった。言い換えればそれまでの14年間を永久に損なってしまったのだ。

 

 私の担任は朝の学活の時間に、静かにそう話した。

 命は助かったし、記憶を失った以外は大きな怪我もなく、それだけは救いだったけど、14年間の時間を失ったことは14年間の命を失ったことに等しい。私は彼のことを考えると胸が痛くなった。

 

 彼とは小学生の頃よく遊んだ。私の名前を呼んでくれた。

 だけどその思い出は、もはや私だけの持っている一方通行的なものでしかなくなり、彼が記憶を失ったことで私の記憶もまた確証のないあやふやなものとなってしまったのだ。人との思い出は、一人では成らない。

 記憶を失くすとは恐ろしいことで、悲しいことだ。あまりにも。

 

 担任はそのとき昔話をしてくれた。

 昔、先生の教え子で、彼と同じように交通事故に遭った子がいた。ただし不運にも、その子は記憶のみならず、命までも喪った。

 その子は休日の朝、なにか急いでいて、「いってきます」と言ったきり、母親が玄関に来るのを待たずに自転車へまたがって、帰らぬ旅へと出てしまった。あとでその子の母親は、ひたすらに自分を責め悲しんでいたという。

 

「どうしてあの朝、どうして私は、あの子に『気をつけてね』と言ってやらなかったのだろう。いつも言っていたのに、あの朝に限って、言えなかった」

 

 その一言があれば、もしかしたら運命は変わっていたかもしれないし、その一言があっても、変わらなかったかもしれない。

 わからないけど、運命の変わる可能性があったのなら、言えばよかったのだ。

 あまりにも残酷だ。

 

 その話を聞いて以来、私は家族や恋人や仲間に、別れ際やあるいは出発の時に、「気を付けてね」と強い願いを込めて言うようにしている。

 言い忘れたときはLINEで「気をつけてね」と伝える。

 後悔したくないのだ。あの母親のように。

 たった六文字の言葉で運命が変わるかどうかはわからないけれど、言葉にはパワーがある。言葉は文字にしたり口にしないと言葉にはならない。だから私は愛する人におまじないを伝える。

 「気をつけてね」と。

 「なにに?」と訊かれたら、「すべてに」と答える。

 愛する人は、すべてのものに愛されるべきだ。

 

 記憶を失くした彼とは、退院以来口をきかなかった。

 私は怖かったのだ。彼が私を忘れて、私の中の時間の一部が消えてしまうことが。

 彼は、復学してどれだけ孤独を感じたことだろう。つい先日まで自分の知らない自分がこの教室にいて、「友だち」と喋り、思い出を作っていたのに、今目の前にあるのは初めて見た教室と自分の知らない思い出を語るクラスの人々。そのことを考えて、また胸が苦しくなった。

 でも、今思えば、私は恐れずに彼に話しかけて、彼と新たな思い出を作るべきだったのかもしれない。もしかしたらそれで、彼の孤独は癒えたかもしれない。

 

 もう会うこともないだろう彼に、伝わらなくともおまじないをかけてあげたい。

 「気をつけろよ」と。