蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

落城していないぞ

 里城が全焼してしまった。

 朝からそのニュースに衝撃を受け、暗い気持ちになった。

 首里城を沖縄の象徴と仰いでいた当地の人たちはもっとショックだったろう。かける言葉もない。ただ想いを馳せることしかできない。

 

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 首里城に行ったのは、今年の2月だった。

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 卒業旅行と称して、恋人と行ったのだった。

 私も恋人も初・首里城で、はっきり申し上げて、行くまではそこまで大層なものではないだろうとタカをくくっていたのだったが、到着してすぐに思い改めることになった。

 首里城公園はとても良いところだった。

 琉球王朝のことなんて名前くらいしか知らなかったのだが、充分にその魅力を認めることができた。

 あの場所は、なにか不思議な力がある。時間を置き去りにされた、王朝時代の風やにおいがまだ流れているような場所で、知らない世界なのに懐かしさとロマンが溢れ、前世私はここにいたのではないかと思えるような、ある種の落ち着いた心に浸れる、そんな場所だった。

 

 前後の予定のせいで、その時は首里城に一時間ほどしか滞在できなかった。

 首里城に一時間いたところで、首里城のすべてを見られるわけがない。一日中いたっていいくらいの場所なのだ。首里城に関する魅力のうちの一割ほども、私たちは浸りきれていなかった。

 それなのにこうまで首里城を素晴らしい場所と言えるのは、あそこが本当に素晴らしい場所だからだ。歴史と人々の想いが詰まっている、力のあるスポットだからだ。

 

 また次に沖縄に来たとき、もっとゆっくり首里城を満喫しようねと、恋人と話した。

 

 だがその日は当分、来ないことになってしまった。

 

 どうしてあの時私たちは、首里城が「永遠にあるもの」だと思ったのだろう。

 朽ちることなく、失うことのない、ある意味人智を超えた宝物だと勘違いしていたのだろう。

 そんなことが幻想であることくらい、琉球王国の盛衰の展示を眺めているだけでもわかっていたはずである。「今」こそが「すべて」だとわかっていたはずなのだ。

 けれど、今日までそれをわかっていなかった。

 歴史は文章であり、事実を述べた物語であり、自分たちとは違う世界のことだと、すべての人がそう思うように私も思っていたのだ。

 

 永遠なんてない。

 

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 首里城の正殿や建物は、すべて戦後に年月をかけて建築されたレプリカである。

 沖縄戦で消失し、数少ない資料と人々の記憶を頼りに、できるだけオリジナルに近い形のレプリカを作り上げたのだ。

 それ以前にも首里城は何度も焼失していて、首里城の歴史を語るうえで城の消失は切っても切れない関係性がある。

 焼失するたびに、人々は再建してきた。

 その時持てる技術を駆使して、元の姿に戻そうと努力してきた。

 その熱意を支えたのは、沖縄としての象徴たる首里城のカリスマ性と、人々の愛である。

 

 また再建できる。これまでもそうだったのだから。

 人々に愛があれば。

 私たちには力がある。

 私も募金やなにかできることがあればしてやりたいと思う。

 今は気を落としても、どうか前を向いてほしい。

 

 先に、永遠なんてないと書いたけど、人々が想いを紡ぎ続けて継承していく限り、永遠は存在する。

 たとえ時間がかかっても、失われないものがある。

 

 だから信じて。