電車内に、動物用のカートに乗ったうさぎがいた。
珍しい。
ふつうこのようなカートに乗っているのは犬で、猫やうさぎなど小さめの動物は手持ちのゲージに入れて搬出・運搬できるから、ほう、うさぎとはまた趣深い、と感心する気持ちがした。これもまた一興である。
こういったカートは可愛い。カート自体「動物を乗せる」という役割を与えられた存在そのものが可愛いのに、そこに動物が乗って、大人しく座って、ごろごろ動きに揺れて運ばれるのだ。なんかいいなぁ。平和だなぁ。
うちの犬も歳をとって腰が悪くなってから散歩のさいにこのカートに乗せて海辺を歩いたものだ。
マーキングもできないし、運動もできないけれど、外に出て風にあたり光を浴びることで気分転換になるし、気持ち良さそうだった。目を細めて、耳を後ろにし、にやにやするのだ。
そんなことを思い出しながらそのうさぎを見ていたのだけど、おや、おやや、と思った。というのも、そのうさぎ、デカいのだ。
乳子ほどの大きさである。
うさぎってこんなに大きかったっけ??
うさぎって大きくてもバスケ選手のスニーカーくらいの大きさじゃなかったか。こいつは赤子くらいある。もしかしてカピバラか?
うさぎが私の疑問に答えるように、耳を揺らした。カピバラじゃあない。うさぎだ。耳もデカい。おじゃる丸の笏(しゃく)くらいの大きさがある。
怖っ。
人は巨大な生き物に畏怖を覚える。ザトウクジラやゾウやキリンなどもそうだけど、予想外に大きいということは自身の想像の範疇を超えた恐怖であるため、自分の手に負えない、どうしようもない、遁走するしかない、と敗北の気分を味わわせられる。
でもまさか、うさぎに恐怖する日が来るとは。
うさぎの毛並みは鈍い灰色で、目はぎょろぎょろと闇を湛え、それで睨まれでもしたらちょっと笑えないくらいの薄暗い威圧感がある。まるで、長い間下水道に生息してマンホールの上を通りすがった女を拐(さら)い、凌辱し人肉をすすってきた、都市の育んできた化物みたいな目なのだ。
さらに恐ろしかったのが、口をモゴモゴしていることだ。
いったいなにをモゴモゴしているのか。なにも食べるものなんてないじゃないですか。やめてくださいよ。
モゴモゴした口から、先日行方不明になった少女の履いていた靴の紐が垂れていたらどうしよう……ほんとやめてくださいよ。と、暴走した妄想の恐怖のあまり、つい敬語になってしまった。
犬は長年一緒に暮らしていたから、その表情を見分けられるし、なんとなくなにを考えているのかわかりそうなものだし、猫だってまったく得体を知らないわけではないのだが、うさぎはダメだ。なにも思考を読み取れないし、表情が一切ない。虚無だ。草食動物、というかんじがする。草を食めればいい、そういう感じがする。
その無の感じが、なによりも恐ろしかった。「無」の状態で口をモゴモゴするな。泣きそうなんだこっちは。
デカい無。もうやめてくれ。
まもなく降りる駅だったので、私はいち早くドアにすがって、改札へ走った。
なんだったのだろう、あのうさぎは。
あんな大きくなるものなのか。
くわばら、くわばら。
遁走するしかなかった。