蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

『十二国記』が人気ありすぎて孤独を感じる

 野不由美さんの十二国記の続編が18年ぶりに発売され、本屋へ行く人ならその看板が大々的に展示されているのを目にしただろうし、車内広告でも貼られたりしていて、ほんとうに大人気のシリーズなんだなぁと他人事に思う。

 調べてみると、最新の計4巻は合計で240万部以上発行されていて、音楽ですらミリオンセラーは出ていない昨今、この発行部数は異例と言えるだろう。村上春樹ですら『騎士団長殺し』は100万部ちかく発行しても、実際には50万部くらいしか売れなかったのではないか(憶測なので気になる人は調べてください)。

 Twitterのフォロワーにも熱烈なファンがいて、多くの人が発売を心待ちにしていた。

 ファン層は老若男女問わず、と言え、十代の子も一日がかりで読み切ったなどツイートしていて、この物語どんんだけ面白いんだと興味をそそる。

 ところでもちろん、私は読んでいない。

 

 話の内容をまったく知らない私が想像するに、たぶん、日本版ハリーポッターってかんじだろうか。読者の熱の入りようはハリーポッターに近いものがある。

 おそらく、主人公がいて、敵がいて、その敵がかつて主人公を捨てた実父で、主人公は母親、乃至(ないし)は妹を殺されているのだろう。十二の国があって、それぞれ「季節」を司(つかさど)っている。主人公はある国の官僚(もしくは将軍)になっていて、実父の治める国と戦うのだ。仲間と力を合わせて。

 さて、このタイトルだけで予想したストーリーはどこまで合っているのか?それを確かめる術(すべ)は私が読むしかないのだが、はたして読む日は来るのだろうか?

 

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 昔からそうなのだけど、私は流行に対して捻じ曲がった根性を持っている。

 汽車に乗っても流行には乗るな。この格言に縛られて生きている。

 もういいかげん大人だし、令和なのだ。流行に乗ってわいわいやっている人たちは楽しそうだし、一方で流行に乗らず斜に構えている私は友だちができず、いつも孤独感があってつらいので、昼休みに教室の隅で机に突っ伏して寝たふりをしながらイヤホンで「はっぴぃえんど」とか「フラワートラベリンバンド」みたいな鬼古いバンドを聴くことで自分は他人とは違う、自分の世界を持った孤高の存在なんだと自己洗脳する時代を終りにしたい。

 流行ってるんだ~、手に取ってみるかぁ。くらいの軽さで私も『十二国記』を読みたい。

 だいたい、皆がおもしろいと言うのだから、おもしろいのだろう。おもしろいものを放っておいて損をする馬鹿がいるだろうか。いる。ここにいる。私だ。

 馬鹿はもう終わりだ。

 

 本屋で、『十二国記』の陳列の前に佇み、いったいどれから読んだらいいのだろうかと考えていると、年齢不詳の、おばさんにも少女にも見える女二人が近づいてきて、私の隣に並び、『十二国記』の話をし始めた。

「あああああああああああああああ!!!!!!!!!コレコレコレコレ!!!!!!!!!!!!!!!」

「へぇ、これが十二国記?」

「そうそうそうそうそうそうそうそう」

「ねぇどれから読めばいいのん?」

 様子から察するに、叫ぶ方が十二国記のファンで、もうひとりのデブ(いずれも年齢不詳)がこれから『十二国記』を読もうとする人らしい。

 なんとも不気味な二人組だが、ちょうどいい、私もこれから読もうと思っていたところだ、どれから読めばいいのか聞き耳を立ててみよう。

 

 まず先に謝っておきたい。

 『十二国記』をどこから読めばいいのか、これからファンの女性は語るのだが、それが物凄い早口で、まくし立てるようで、その津波のような威圧感と興奮に私が推し負けてしまったというのともう一つ、出てくる作中の単語が難しくて全然理解できず、理解が追い付かなかったため、二人組の会話をここで文字に起こすことはできなかった。

 ファン女性は、ファンというか、オタクだった。

 あ、オタクの喋り方だ、と思ったし、言葉の節々に「オタクの文法」を感じさせるところがあり、2ちゃんねるの長文レスを音読されている気分になった。

 怖かった。

 

 私は本を買わず、退散した。

 結局どれから読めばいいのかわからなかったし、なんか、なんだろう、要するに怖かったのだ。

 あのオタクが、もっと落ち着いた、節度のあって丁寧な人だったら、私は読むべき『十二国記』を買っていて、今頃楽しく読んでいて、流行に乗り遅れた孤独を感じずに済んでいたと思う。

 

 私は今日も鬼古いバンドの曲を聴きながら、内田百閒でも読もうと思う。