蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

あ、

「あ、僕ですね」「あ、お先失礼します」「あ、はい」などと文頭に「あ、」を付ける人ってたぶん自分に自信がないんだろうな。相槌であっても自分の言葉に対して自信がなくて、「あ、」を付けることで何気ない感じを装って、さも「私本人の意見ではないのだけれどもそう言われてみればそうかもしれませんね、おっしゃる通りです」感を出して責任の所在を免れたいというか、あるいは「あ、」を付けることでさも下手に出てる感を演出してるけど心の中では舌を出してる、そんな弱くて卑怯な人なんだろうな。私の身近にそういう人がいて、「あ、」を聞くたびになんかムカつく。そいつはどこにいるかというと、鏡の中にいて、自信のない目でニヤニヤしている。そいつはだった。

 

    あ、はい。

 

    どうして「あ、」を付けてしまうのか、本当のところはわからない。

    リズムを大事にしているのだろうか。

    なんか丁寧な感じがするというか、下手に出てる感はある。だけど舌は出してない。

    他人が「あ、」を付けていると、なんだかちょっと馬鹿にしてんのかな、と思えてしまうので私自身気を付けようと思うのだが、口癖とは恐ろしいもので、治そうと思って治せるほど易くはない。

    

    きっぱり「はい」とか「どうも」などと言えばいいのだ。その方が聞いた感じ賢そうだ。

    「あ、」が付くだけで、優柔不断で決断力に欠け頼りない印象を抱かせる。一度や二度なら気にはならないけど、口癖のようだとかなり気になる。

 

    あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、といっそのこと連呼してみたのだが、変な気分になるだけで口癖は治らない。部屋の壁に向かって、あるいは鏡に向かって、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、とやっていると本当に変な気分になるので試していただきたい。そのうち精神分裂するだろう。

 

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    「あ、」に限らず、口癖は根治が難しいどころか、下手をすると人間性を垣間見られてしまうので本当に危ない。

    つい出た言葉はその人の内面を写す鏡だ。

    つい出てしまう乱暴な言葉、弱気な発言、そういったものはその人の成長過程で獲得した(あるいは欠いた)内面的側面の一部分である。それは生活に染みついてアザとなり、隠しても肌の下から透けて見えてくる。

    乱暴な言葉を使うからって、必ずしも根源的に乱暴なわけではない人もいるだろうけど、印象は悪くなること必至である。

    

 

    成長過程だか生来のものだからわからんけど、ともかく獲得された(あるいは欠いた)私の「あ、」はきっと、あまり良い印象のものではないと思うので、気を付けようと思う。

    どうなるかはともかくとして、気をつけるということが大事である。少なくとも意識的であることで、ちょっとは努力してんだナと勘違いしてくれる場合があるからだ。

    

    あ、じゃあ、今日はこのへんで失礼します。