好きなものは何ですか、と訊ねられたらおれは、金曜の夜と月だ、と答える。
さっき、そう決めた。
月を見つめていると、好きな子の手を握ったときのようにドキドキする。
3年以上付き合っている恋人を今更ふと見てもドキドキしないけど、月は23年も見ているというのに、見つめるたびにドキドキするんだからすごいものだ。
端的に言ってしまえば月の魅力は「美しい」ことなのだけど、私の胸のドキドキは端的に「美しい」と言うことを許さない。
月は魅惑的だ。妖しい美しさ。恐ろしさすらある。どんな言葉も月を表せまい。
今週、定時後の会議があって「もう帰らせてくれ」と怒りを通り越して無念ですらあったのだが、会議室から見えた月があまりにも、言葉では表せないほどの物凄いもので、単純な私は、ああ、会議があって良かった、と思った。
ビルや工場の瞬きが虚しくなるほど月は孤高に輝いていた。川の水面に光が揺らいでいる。その上を15両編成の電車が交錯しながら、すれ違いながら、夜空の彼方へ駆けていた。むこうには東京タワーがろうそくの炎のようにやわらかに、都市の中に立っている。月影に飛行機が飛ぶ。その空は昼間よりも平等に暗い夜で、月がただ一人、ぽっかりと佇んでいる。
会議が始まるまでずっと月を見ていた。
写真を撮ろうとしたら「私用のカメラを使うな」と怒られた。当然である。定時後といえど勤務中なのだ。
それに、撮ったところで月の美しさはレンズからこぼれてしまって、私の技術ではその妖しさを正確に捉えることはできないだろう。
ああ、どうして隣に恋人がいないのだろう、と思った。
私は恋人と二人で、月を見てドキドキしたかった。
この月を、二人だけのものにしたかった。
彼女に月を見せてやりたかった。
満ち足りた人生って何だろう。
満ち足りた人生のために必要なものは何だろう?
お金、食べ物、仕事、技術、文学、音楽、人それぞれだろう。
私だって、満ち足りた人生とは月を眺めることです、と言いたいけど、実際問題、月を眺めるだけじゃ生きていけないし、大切なものを守るためにはお金や権力や常識やいろいろなつまらないものが必要だ。
だけど、だけどね、月を見てドキドキしてしまうこの胸が、恋人にも月を見せてやりたいと思えるこの心がなければ、満ち足りた人生などあり得ないのだと私は言ってしまいたい。それこそが美しいのだと言いたい。
だから、私の心は、詩情は、なによりも美しい。私こそが最も美しく気高いのである。
わかったら皆の衆は敬虔な気持ちを持って私の前にことごとく跪(ひざまず)きなさい。
その敬虔な気持ちは私に匹敵するほど美しいのだよ。そう言いたい。