蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

恨み言呟く爺の謎

  2~3年前、世間の緩慢な責め苦に絶望して大学をサボり、近所の公園で昼間からぼーっとしていた。課題が終わる気配はなかったし、そもそも出席してないから提出しようもなかった。そんな昼下がりである。

 

 隣のベンチに座っていた爺さんがぶつぶつと文句を言っていた。

「あのクソガキ……死ねこら……」

 物騒な言葉を小声で繰り返している。

 なんだろう、この人は。正気の沙汰ではなさそうだ。みすぼらしい格好をしていたし、古着以上にくたびれた いでたちの爺さんだった。

 世間に対して毒を吐いているのだろうか?この絶望的な世界に。

 私もいつかはこの爺さんみたくなってしまうのだろうか?昼下がりの公園で虚空を睨みつけながら「殺すぞ……」と延々呟く人になってしまうのだろうか?

 嫌すぎるな。

 こんなヤバそうな人がいたら普通は避けるべきところではあるが、私は世間に絶望してどうにでもなれ、と自棄(やけ)だったので、しばらくその爺さんを観察することにした。私も将来この人みたくなってしまう可能性がある。ここで観察から学びを何かしら得られれば、このようなヤバい人にならない方策が稚拙な頭に巡るかもしれない。私は爺さんを観察し、その言に耳を澄ませた。

 ここに、「昼下がりの公園でぶつぶつ独り言をしてる爺さんと、それを観察する青年」という印象派的な景観が生まれた。

 

 

 「あのやろぉ……馬鹿もんがぁ……」

 「ったく最近の若い奴は……」

 「何考えてんだ馬鹿が……」

 独り言をひとつひとつ拾っていくと、爺さんはどうやら特定の誰か(若い男)を憎んでいることがわかった。

 いったい、それは誰か?

 爺さんに「死ね」とまで言わせる憎しみを抱かせる人は誰なのだろう?

 借金取りだろうか。振り込め詐欺師だろうか。盗賊だろうか。なんにせよろくでもない人だろう。

 

 しかし私は、直後にその「誰か」を発見することになる。

 爺さんは虚空を見つめている、と思っていたが、その視線の先には一人の男がいた。それは、遠くの方の花壇の煉瓦に腰掛けている、ドカタ風の男であった。

 男はドカっと腰かけて、缶コーヒーを啜りながらスマホを見ていた。

 爺さんはどうやら、この男に暴言を小声で吐いているのだった。

 

 しかしどうして?

 あのドカタが爺さんになにをしたんだ?

 考えられるのは、あすこの花壇をつくろったのがこの爺さんであり、そこに腰掛けられたことに腹を立てている、ということである。その時の私にはそうとしか考えられなかった。

 そんなに腹を立てるなら、直接怒ればいいではないか。何をやってんだこの爺は。それでも貴様、漢かっ。

 すると爺さんはやおら立ち上がり、おやついにキレに行ったのか、と期待したが、違った。公園の出口へ向かい、トボトボとどこかへ去った。

 ああいう男気の無い爺さんにはなりたくねェな。私は吐き捨てる気持ちになった。

 

 だけど、それにしてもだよ、あの花壇を爺さんがあつらえたと仮定しただけであって、本当かどうかはわからない。

 なにか他の理由があったのではないか?

 もしかして、爺さんの座っていた位置からしか見えないような真実が、あのドカタの影に潜んでいるのではないか?

 私はそう思って、爺さんが座っていたベンチに移動して、ちょいとドカタの方を見て、うわっと目がくらんだ。

 反射光。

 ドカタのいじるスマホの画面に昼下がりの太陽光が反射して、ちょうど目の位置に届くのだ。

 ドカタの方ではなく正面を向いていても反射光は横目に眩(まばゆ)く、反対側を向くと今度は太陽光が直接目に入る仕組みになっている。なんだこれ。拷問か?

 納得した。爺さんはこのことに対して立腹し呪いの言葉を吐いていたのだ。花壇じゃなかった。だいたい、あんなみすぼらしい爺さんが花壇をあつらえるわけないじゃないか。

 

 だけどもね、爺さん。

 呪いを吐くのもいいけど、そんなら爺さんが移動すればいいだけじゃないの。ちょっとベンチを移動すれば光は目に入らないんだから……と考えて、私はハッとした。

 ちょっと移動して?

 移動すべき先のベンチは、私がずっと座っていたではないか。

 爺さんは、とても運が悪く、爺さんを痛めつける完璧なシステムの中に陥ってしまっていたのだ。こうなったら公園から出て行くしかない。だから出て行ったのだ。なんてよくできた罠なんだ。爺さんが何をしたというのだ。

 

 私は元いたベンチに戻り、ドカタの男が去るのを待った。

 ああいう配慮のできない男にはならないようにしよう。反射光の配慮って難しいけど。自省した。講義よりもよっぽど学びがあった。

 

 ふと、もしかして、と思った。

 爺さんの恨み言は、あのドカタにもそうだけど、となりのベンチを占領していた私にも向けられていたのではないか?……

 これ以上考えるのは怖かったのでよすことにして、ドカタが去ってからしばらくの後、私もそそくさと公園をあとにした。

 

 そして公園には誰もいなくなった。