世界が滅ぶときはここにいよう、と思える場所がある。
実家の近くの、海にあるデッキだ。
休日はこのデッキに座って缶ビールを飲んだり、湾にそそぐ光の揺らめきや遠くにぼんやりとしている山の影を眺めたり、トンビがくるくる回っているのを何も考えずに見守っている。
癒し。
何もしない贅沢。
結局、こういうのでいいんだよ、人生つーのは。
海のデッキにひとり、なにもしないでそうしているだけで、なぜか心が満たされる。
波の音、潮の匂い、光、缶ビール、指の隙間を抜け落ちる砂。
それだけのもので私たちは満たされるのだ。そういうことを忘れがちになってしまう生活の中で、ときどきこうしてそういうことを思い出す時間があった方がいい。こういうことで満たされない人は誰よりも貧しい。
とくべつ美しい場所でもないけれど、特別な場所だ。
私はふと、世界が滅ぶときはここにいたいな、と思った。
恋人と二人で、ここで終わりを迎えられたらな、と思った。
そういう人と場所を持てるだけ、私は豊かだし幸せなのだろう。
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この海のデッキはむかし犬がいたころによく遊びに来ていたところで、散歩の休憩ポイントになっていて、ここに腰かけて海を見つめたり横になって眠ったりしていた。
いまでも多くの犬と飼い主がここを訪れて休憩している。
飼い主が寝ころぶと犬が「どうしたどうした」と言わんばかりに顔を舐めまくって、飼い主が「うわっぷ!」と顔を庇い、犬を抱き上げてキャッキャと戯れている。
厳格そうなおじいさんが私よりも賢そうな犬と海を眺めていたり、普段は孫娘のチワワの世話焼きに文句を言ってるけどなんだかんだいちばんチワワを愛でてそうなおじいさんが朗らかだったり、家族三人と一匹で小さなピクニックをしていたり、おばさん二人がうわさ話をしている間それぞれの犬はいがみ合っていたり、ここは観察しがいのあるところだ。
自分が犬と暮らしていたころは思わなかったけど、犬を散歩させる人はなんだか可愛い。「犬を散歩させる」という字面からしてすでに可愛い。人間のそういう営みが好きだ。
ちょっと寂しくなった。
うちの犬たちはここに似た天国でうまくやっているだろうか?
世界が滅ぶとき、この場所で、彼らも一緒にいてくれたら幸せなんだけどなぁ。
そんなことを考えていたら、どっかのだれかのリードを付けていない犬が私のそばに座って、撫でさせてくれた。久々の毛並みと温もりが優しかった。飼い主はおそらくあちらで眠っているおっさんだろう。
犬は吠えもせず、いやしく乾物に跳びつきもせず、ただただ私に撫でさせてくれた。
ここは世界が滅ぶときにいたい場所。
ここは世界の果て。