蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

先生と生徒の恋は罪か?

  作のなかで先生と生徒が恋をする話はガンジス川の砂の粒くらいあるもので、ずっと同じ規模感で話題になる恋愛物語の王道中の王道だけど、私は「先生と生徒の恋」に、創作とはいえ一抹、思うところがある。

    それは、現実的に考えると、先生はとんでもないクズだということである。

    

     いやさ、皆の衆、わかってるよ、あれはフィクションだ。フィクションの中ならいくらでも好きにやっていいし、罪はない。フィクションの中だからこそ、好き勝手にできる。だからフィクションの中でなら先生はいくらでも生徒に恋をして構わない。

    だけど、どうしても、ここで自分の生徒に手を出す先生は、頭がおかしいのではないか、と思ってしまうのだ。

    その思いがノイズとなって創作物を楽しむのを阻害し、作品世界にすんなり入れない。

    

    先生が作中でどれだけ素晴らしく紳士的に描かれていたとしても、ヒロインの在学中に手を出したら一発でアウトだ。まともじゃない、とは言い切れないけど、それが紳士的な先生の賢い選択とは思えない。このことは両者の性別に依らない。

    以前にも申し上げたが、女子諸君、十代の(18歳未満の)女の子に手を出す成人男性がまともなわけがないだろう。

    ときどき、高校生にして社会人の彼氏がいることをひけらかしてる女の子がいるけど、そんなのはまったく誇らしいことでもマウントを取れることでもスクールカーストの上位に君臨するための条件でもない。

    ただただ、まともじゃない彼氏を持つ女、ってだけである。

    でも動物的に考えれば、強いオス(経済的に優位な人)とつがいになろうとするのは自然で なことなので、こういう高校生は「案外正直なんだなぁ」と遺伝子レベルの次元で捉えることができる。だけど私たちは文化的な人間で、ジャングルに暮らすチンパンジーではない。

 

    どんなに可愛い絵柄で、どんなに素敵なお話であっても、先生と生徒が恋仲になってしまうのは、まともじゃない。創作だからいいけど、現実だったらどうかしてる。

    現実なら、生徒が卒業するまで想いを胸に秘めておくべきだし、卒業したとしても元生徒の将来をきちんと考えて行動しなければ大人じゃない。

 

    だから、フィクションの中でもそうすべきだ。

 

 

 

 

    と、言うとでも思ったか?

 

    先生と生徒が恋仲になってラブラブしたりイチャイチャしないスクールラブストーリーにいったいなんの価値があるのだろう?

    現実ではそうあれないからこそ、フィクションでできることじゃないか。

    それをやらないで至極まっとうに健全に欲望を抑えて話を進めるなんて、そうした著者は愚だ。なんのために生まれたんだ。

    どんどん先生と生徒をイチャイチャさせ、いんぐりもんぐりを善として、想像と欲望を解放させるのだ。

    非現実に現実を求めるのは無粋である。

 

    フィクションと現実は区別して楽しむものだ。

    私たちは文化的な人間なのだから。