蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

サボり気味の理由

  近はブログをサボり気味だ。

 サボり、と言ったって、ブログは誰かにやれと言われたわけでもないし、金を貰っているわけでもないし、私のブログを心待ちにして生き甲斐にしている人だっていないのだから(いたらメッセージください)、いくらサボったって誰にも咎められないし怒られもしないし罰金も発生しない。自尊心が愚図愚図になるだけである。

 

 そう、私は最近、愚図愚図であった。

 仕事が忙しかったせいもあるし、季節性の鬱、のようなもので心がさもしくなっているせいもある。

 心がさもしくなると文章が書けない。

 孤独感が津波のように呑み込んでいってよくない気分が街に流れ込んでくるし、とても書く気になんてなれないのだ。

 だから書かないでいたら、とても気が楽なのだけど、なんかつまらないなぁというか、こんなんでいいのか、生きてて楽しいのか、という気分にもなり、二律背反、なんかどうしようもなくなってしまい、溺れる鯉ここにありき、そして私は死のうと思った。

 死のうと思って、忘年会の帰りに酔った頭で海へ行った。

 途中、自販機でコーラを買ってその場でシェイクし、その場にぶちまけてみたりした。

 工事現場の防壁に跳び蹴りを食らわせて歩道に寝転がってもみた。SHIBUYA MELTDOWN状態であった。

 そうまでして冷静じゃなかったし、そうまでしても気がおさまらなかったので、あ、死に時だ、と思った。はっきりした。私は今まで生きていたのではなく、死ねなかっただけなのだと。

 私をギリギリ生にとどめているのは恋人の存在だ。

 彼女に棄てられたら私は即座に死のうと思う。そんな感じで生きてきたのだ。

 

 孤独。

 恋人は私を理解してくれようとする。ありがたいことだし、私にはもったいない存在だ。それだけで愛だと思う。

 だけど、自分ですら自分自身を理解できないのに、恋人が私を完璧に理解できるはずがない。

 私は心のもやもやを完璧に言語化できないし、言語化できたとして完璧に伝えることができない。

 この、言葉そのものの扱いづらさ、頭の悪さ、それにぶち当たったことがきっかけで文章を書く気が起きなくなった。

 アイデアはいろいろ浮かんでくるのに、書きはじめると止まってしまう。ダメな点しか見つからない。書いてて楽しくない。

 

 みんなはどうやって自分の孤独と折り合いをつけているのだろう?

 私はみんなが孤独であるということが唯一の非孤独であると信じている。

 

 

 ところで、海は誰よりも孤独だった。そしてすべてを受け止めるおおらかさがあった。

 海は何億年も止まることなく動き続けている。たったひとつの水の塊として。

 その果てしなさを前にしたら自分なんてどうでもよく思えて、とりあえずまだ死ねないでいる。

 

 久々に書くと楽しいと思えてきた。

 憂鬱は雲みたいなもので自分の力じゃどうにもできない。手が届かないし、切ることはできないし、いつのまにか発生していて、ほっとくとどこかへ行ってしまうのに、じっと見ていると動かないで空についたシミみたいにずっとそこにいる。

 

 最近はそんな感じ。

 記事更新してなくても来てくれてありがとうございます。