蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

物事の型をモノにせよ

  事のひとつひとつには習得へのコツがあり、そのコツには特有の呼吸とも言える「型」がある。

    私は年に3〜4回、この型(と呼んでいる呼吸のリズム)にハマるときがある。

    なにかをするうえで、上達するうえで必要な型に、ある時突然すっぽりとハマって、「あ、これ完全に理解した。もうできるわ」となる瞬間がある。

    そう思えた次の瞬間、本当にすらすらできるようになる。まるで昔からルーティンでこなしていたかのように、前世からやり方を知っていたかのように、自分が更新される気がする。

 

    この、型がハマる瞬間は、多くの人が体験していることだろう。

    たとえば、自転車。

    さっきまでぜんぜん乗れなかったのに、ある瞬間、突然その骨を掴んで、ひとり前進することができるようになる。

    泳ぎもそうだ。ずっと泳げなくても、ある瞬間に型にハマってすいすい泳げる。車の運転もそうで、人それぞれ、それぞれの物事の型にハマるまでには時間の差異があるけれど、一度コツを掴んだら案外誰でもできるようになることは多い。

    型にハマると、それまで調子の悪かった時計がカチカチ動きはじめるような感覚がする。噛み合わなかった歯車がガッチリと他と結びついて互いに作用し、大きなひとつのものを動かすのである。

    その感覚はシステマティックで感覚的な論理的で、とても気持ちの良いことだ。

 

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    私は文章を書くことについて、まだ型を掴んでいない気がする。

    なにか、どこかの歯車が逆回転をしているような、そんな感じがする。

    昔、音楽を作りはじめの頃、ずっと作れなかったのにある日突然ギターを弾いていたら1曲目が完成した瞬間があった。その時は確かに型を掴んだ感覚があった。

    140字小説もそうだ。ずっと書きたいな、と思って何度も挑戦したのに書けなかったのだが、ある日突然一作目ができた瞬間があった。その時掴んだ140字小説の型があり、その型通りにやっていたらそれなりに人気になった。

 

    ただ、一般の小説に関して、私はまだ型に入っていないのではないか。思い出そうとしてもその型を掴んだ時のことを思い出せないのだ。

 

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    ところで本当に難しいのは型を掴んだ後である。

    型を破らなければ次には進めないのだ。そのままでももちろんいいのだけど、上を目指すなら、さらに楽しみたいのなら、型を破ってなにか壁を突破しなければ未来がない。

    私はいま140字小説に関してそんな感じで、型を破らなねばならぬ時期に来ており悩んでいる。なにを突破すればいいのだろう?テキトーにお題を貰えば型通りにいくらでも作ることができるけど、私がやりたいのはそんなことではないのだ。作品の量産をしたいのではない。

 

     型を手にしていない点において、私はまだ小説書きのスタートラインにすら立っていないのかもしれない。

    そう思う日々。