蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

僕たちはむかし、高校生だった

 日、4年ぶりに高校時代の友だちに会ってきた。

 仲の良かった私たち3人は、あれだけ仲が良かったのに、卒業してから会う機会がなく──いや、会う機会を作れなくて、まるで忘れ合おうとするように一切の連絡を取り合わなかった。

 なにか約束があってそうしたわけではない。

 どうしてそんな悲しいことになっていたのかもわからない。

 ただただ、時間はなにもしなければ、何もしない時間として過ぎていくだけだったし、そうやって4年近く月日が経った。

 

 正月に、ついに私から連絡を取った。

 「会おうよ」

 「会おう」「会おう」

 二つ返事だった。最初からこうすればよかったのだ。

 

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 久々に会う友だちと何を話せばいいのだろう?

 私たちには共通の話題がもはやないし、きっと高校時代の思い出をすり潰すように思い出してはむやみに笑ったりするのだろう。

 会ってみたら、やっぱりそうだったけど、意外とそんなことはなかった。

 話してみて、そういえばあんなことあったよな、あれは結局なんだったんだろうな、今だから言えるけどあのときのあれはさ、と、すこし大人びて落ち着きつつも、高校時代と変わらぬ空気感で話をすることができたし、思い出をすり潰して無暗に笑うなんてことはなかった。

 純粋な気持ちで、笑った。

 ああ、あのころもこんな風に笑ってなかった気がする。もっと命を削るみたいに、自傷するみたいに笑っていた気がする。

 

 教室の記憶がよみがえる。

 控えめに言ってもあそこは地獄だった。

 机と椅子の羅列が秩序のすべてで、先生の言うことに従っていればあぶれることはなく、教科書に載っていることが世界で、四角い教室が世界の広さだった。

 とても息苦しくて、毎日発狂しそうだった。

 というか、発狂してた。

 教室の加湿器にカフェオレを入れる、ドアにごま油を塗って滑りをよくさせすぎる、学級文庫新興宗教の駅前で配ってる冊子を忍ばせる、分厚い受験情報誌を千切って丸めて屋上に投げる、看板を埋める、教室を血のりでめちゃくちゃにする、休み時間に奇声を上げる、ゴミ置き場の蛍光灯を片っ端から粉々にする、むやみやたらに笑う、笑い続ける。

 どうかしてたのだろう。

 不良自慢にもならない、愚だった。

 そしてそれらのすべては、望まぬ成長と言う名の劣化と、閉塞感へのアレルギー反応だったのだろう。

 私のそれら発狂を見守り、爆笑し、一緒にやってくれたのが、彼らだった。

 

 久々に会った私たちは、ちゃんと笑うところで笑い、真剣に話すときは真剣だった。

 もうアレルギー的に笑う必要もなければ、わずかな娯楽のために爆笑を促す必要もなかった。

 僕たちはもう、高校生ではなくなっていた。

 当然だ。高校に入学してから10年が経とうとしているのだ。

 

 

 実はずっと会いたかったのに、なぜか連絡を取る勇気がなくて、会えなかった。

 自分でもよくわからない。

 なにかしらの、高校時代のコンプレックスがあったのだろうか。

 私にとって高校という時間は失われた3年に過ぎない。彼らに会うと、胸を風が通るような喪失感を味わうことになるのではないかと不安で、今になってそんな理由を考えてもみる。でもたぶん違くて、もっと深くて浅い虚栄心や羞恥心の為だったかもしれない。

 でも昨日会ってみて、会って良かったと思った。

 なにかひとつ、区切りがついた。

 

 それは終わりの区切りではなく、朗らかなはじまりの区切りだ。

 

 

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 ちなみに、類は友を呼ぶ、ということわざは本当で、中高通じて仲の良かった友達のうちで、大学を4年で卒業し一般企業に就職したのは私しかいない。

 大学を卒業できなかったか、フリーターになったか、ニートになったか、博士になろうとする奴らばかりだ。

 そのなかで私は若干浮いていて、あの頃と同じように悪目立ちしてしまう。

 あと、誰も成人式に行ってない。