「身長差いいよね」と恋人が言った。
私の恋人は、私たちの身長差が好きなのだ。
私と恋人は、細かい数字は忘れたけど、たぶん15センチくらい身長差がある。
二人並んで写真を撮ると、私の首に恋人の顔がすぽっと収まるくらい。
この身長差が愛しくて、恋人を守りたくなる。たとえば夜の電車の窓ガラスに映る二人の影が、私はこよなく愛しい。
恋人は私たちの身長差を、私が思っているよりもずっと深く愛していて、よく「身長差、いいわぁ」と口にする。私はそれが嬉しい。
なぜって、「身長差」は二人の人間がいないと生まれないものであり、私たちの身長差は私たちによって生まれるもので、二人の関係がないと愛しいと思えないものだからだ。
人間は基本的にオスが大きくて、メスは小さい傾向にある。
だけど、魚や爬虫類や虫、哺乳類でもメスの方が大きい。
アンコウなんてオスはメスの体に比べたらアクセサリーくらいの大きさしかなくて、メスに吸着したオスは生殖器官を遺していずれはメスに吸収されてしまう。はっきり言って羨ましい。だって好きな人の体の一部になれるのだよ。魂を別にしたまま、同じ温もりの中で暮らしていけるんだよ。深海はどれくらいあたたかいところなのだろう。
メスは子どもを産むためにたくさん力を備えなきゃいけないし、子どもを守るために強くなきゃいけない。オスはそれに比べると、巣をつくるだけだったり、結局強い遺伝子を残すために他のオスと戦うだけの、なんだか生殖のためだけに作られた矮小なもののようにも思えてくる。
動物に詳しくないから、例によってテキトーなイメージの話だけど、私にはそう思える。
ライオンの鬣(たてがみ)や雄鹿の角やセイウチの牙も、そうやってオスを捉えるとどんなに立派でも急に虚しく小さく見えてくる。
そう考えはじめると、男としての尊厳を失いそうで怖くなる。私は自分が男であることを誇りにも思うし、楽しくも思っているのだ。なんてったって、髭が生えるのが良い。
なんの話だったかと思いだせば、そうだ、私と恋人の身長差の話だった。
私はヒョロガリで「しなびたほうれん草」と妹に揶揄されているけど、それでもそのへんの女性よりかは筋肉があるわけで、力があり、大きめの段ボールを運ぶことだってできる。そういう大きなものや重いものを運ぶと、単純な話だけど、男としての自信が出てくる。
恋人と並ぶと、その身長差に──下から覗き見る恋人の視線に──私は彼女を守りたいと思い、なにか大きなものを運びたいと思い、彼女のために八重垣を作りたくなる。
八重垣作る、その八重垣を。
私は、私たち二人が愛しくてたまらない。