ブログになにを書こうかとモニターを見つめ続けて早20分、何も書けていない私はとりあえずタイトルに「画面を見つめ続けて」と書いた。
はたしてこのタイトルに続く文章はどうやってはじまるのだろうか?どこまで続くのか?1000文字も書くことがあるのか?この時点では、一切は闇に包まれている。始まらなければ始まらないのだ。
書きたいことは山々あるのだけど脳内でひとつずつ検証すると、それは資本主義への怒りだったり白人文化至上主義ひいては日本文化の在り方についての嫌悪感だったり性差別への不快感だったり、なかなかセンシティブな話題であることがわかり、それらを露わにするには今は疲れていて、疲れているからそんな話題ばかり出てきてしまうんだなと思った。
ちょっとでも不満を書きはじめたら終わらなくなって、書き終えたときに惨めな思いをするからやめておこう。
暗い感情は吐き出さないととても苦しいのに、吐き出すのはもっと苦しい。暗い過去や考えを人に話すと、その人は嫌な思いをするだろうし、私は自分自身がさらに嫌になる。
どうしようもなくなって、死にたくなる。自己防衛のためにまた心の殻を厚く塗っていく。
吐き出したい感情をどんどん吐き出せなくなる。
おっとっと、ほらほら、書き出したら止まらなくなるだろ。やめとこ。私は疲れているのだ。
そう、とても疲れている。
最近は仕事がハードだったし、昨日は飲み会があって家に帰れなかったのだ。
家に帰れなかったので、ブログを書けなかった。
ブログを書くのを一日でも止めると(ブログの更新を一日止めてしまうと)、なんだか微妙に生命のリズムが狂ってしまう。時計の秒針が5秒くらい遅れているような、些細な違和感がある。
どうして飲み会程度で家に帰れなくなったのか、よくわからない人にはわからないだろう。
私だって家に帰りたかった。2次会に行かずにしれっと帰りたかった。
「自己責任で、断れないのが悪い」そう言われるだろう。その通りなのだし、その言葉は正しいのだけど、合ってはない。
世の中には断れない事があるし、断ってもどうしようもないことがあるし、断っても意味がないことがあるのだ。
昨晩は、断っても意味のない夜だった。まるで運命づけられていてそれに引き寄せられるように、私は家に帰れなくなり、上司(男)の家へ泊まることになる。そこで眠れない夜を明かすことになる。
そういうわけでブログを更新できず、あーあ、と思った。
ブログなんて書かなくても生きていけるし、書きたくなかったら、書くことがなかったら無視していればいいのだが、どうしても微妙に遅れたり早くなっていたり時々止まって見える秒針の動きが気になってしまう。
ブログを書いて、生活の呼吸を元に戻したい。
そのために画面を見つめ続けていたのだ。よかった、ひとまず書けて。