蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

消耗

  にかく疲れている。心が。

    飲み会があると、その後日はかなり心をやられる。このせいで、12月と1月は日常面でかなり心が腐っていたし、本もあまり読めず、書くことも疎かだった。

    12月の飲み会の弊害が回復したところで、新年会があった。私が幹事を務めた会社の新年会だ。

    徹底的に、やられた。

    とくに好きでもなく嫌いでもない人たちと食事を共にするとは、こんなにも苦痛なものかと驚く。食事の味がほとんどしないのだ。

    焼き鳥なんてぶつぶつゴロゴロして気味が悪いし、茶碗蒸しは熱くてドロドロした意味不明のペーストであった。美味しいと思える心が欠如して、砂か泥か人の指を食べてるみたいな感覚しか感じられなくなる。

    みんなは美味しいと言ってくれたし、楽しくお喋りできたみたいで、幹事を務めた私を労ってくれたのでよかった。食事はちゃんと味がしたらしい。

 

    飲み会が嫌いなわけじゃない。

    友だちや普段とくに関わっている上司や先輩たちと飲むのは楽しい。

    よく知らない人たちと飲んでも、料理の味はしないけど、よく知らない話を聞けるので為になる。ただ、会社の、あるメンバーで開催される飲み会の後は、死にたくて仕方がなくなるのだ。

 

    自分はなんて劣る存在なのだろうと思う。

    さまざまな過去の失敗や後悔がフラッシュバックして気持ちが悪くなる。小さな存在で、孤独で、愛されないなと思う。

    面倒臭くて、中途半端で、努力もできず、勝つこともできず、それどころか頑張りきることもできない。

「甘いよ」

    何をやっていても心の中のご意見番がすべてを否定する。「よくやった」なんて言ってくれない。今まで誰からも言われなかったように。

    こんなブログを書いている時点で、人間性が終わってる。

 

    こんな自分を愛してくれている恋人に申し訳なく思う。

    だから、がんばろう、と思う。

    なにを頑張ればいいのかわからないから教えてください。資格とか取ればいいのでしょうか。

 

    そもそも生きる気力がなくて、なんか意志というか、死にたくないな!ってことがなく、ただ漫然と生きているのであるから、なにに対してもやる気がない。この世は死ぬまでの暇潰しなのだ。死んだら死んだで別にいい。というかむしろ死んだ方が良いとされている。

    恋人がいるから死ねないだけなんだな、と常々思う。

    恋人がいる限り自分から死ぬことはできない。

 

 

    どうして飲み会と鬱が接着するのかわからない。

    いや、本当はわかっているのだ。

    飲みの席でそこにいない人の悪口を聞いたり、そこで自分とその人を比べてしまったり……尊敬する上司がいるからだ。

    この人みたいに素晴らしくなりたいと思う。憧れる。

    そこから来る自分の劣等感に押し潰されてしまうのだ。人の悪口を聞いて、その人と自分の存在はどう違うのか、みんな陰で自分の悪口を言っているんだろうな、みんなが言うように僕もクズなのだろうな。あの尊敬する上司には死んでも届かないな。

    なんて身勝手で、矮小で、情けないのだろう。

 

    じゃあ頑張れよ、努力しろよ、今日だって寝てただけじゃないか!お前には自分を卑下する権利すらないんだよ。体を動かせよ!

 

    心の中のご意見番がそう言ってくれてる前で私は、耳を塞いで固まっている。