蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

帰宅時の人身事故を想う

 宅時に人身事故があって、電車はストップ、他の交通機関もなかったので私は電車を降り、やれやれお腹が空いた、から目に留まったタイ料理屋へ入ってシンハ・ビールとガパオをかっ喰らった。感情に任せて喰らった。

 帰宅時に事故起こすなボケ。

 私は怒っていた。

 

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 私が毎日毎日蟻のように勤勉に出社する理由は、「行かないと帰れない」からである。

 出社の、通勤の時点で既に退社のことを考えてる。

 未来のことを考えて、先を見据えて行動している。一日を大まかに把握して計画している。こういう先が見える人は大概出世すると先輩に聞いたから、それを実践しているのだ。

 帰りたくてしょうがない。

 家は安寧、会社は泥濘だ。泥の中より花畑が良いに決まっている。泥の中には最悪なバクテリアや蛭(ひる)が生息しているが、お花畑では蜜蜂が花粉を集めて空を舞っている。

 帰りたくてしょうがないのだ。お家が大好きで仕方ないのだ。

 恋、と言ってもいい。私はマイホームに、恋、をしている。胸が切なくなるくらい。月が壊れてしまうくらい。

 

 私は家に帰るために会社へ行くのだ。

 行かないと帰れない。

 

 だから定時になったら即帰ることにしている。たとえ先輩がみんな残っていても帰る。自分の仕事が終わったら、帰る。今日だってそうして帰ってきたので、なんなら仕事をたんまり残してきたので、明日怒られるかもしれない。だからどうした。

 即帰宅。

 それが信条。それこそが信念

 

 ゆえに、""早く帰れない""状況は私を苛立たせる。

 そのひとつが、「帰宅時の人身事故」だ。

 

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 人身事故を起こす奴は何を考えているのか。

 人身事故にはさまざまな種類がある。今回は特に「自殺」について考えたい。

 疲れて、心をすり減らしてしまって死にたくなったとき、豪速でホームに突っ込んでくる電車は魅力的に見える。「死んでみよう」と思ったらすぐに跳び込めるのだ。

 考え直すとか、衝動にちょっと立ち止まってみるとか、そんなひと呼吸を置く間もなく、考えられないくらいあっという間に、簡単になんのユーモアもなく死ぬことができる。

 なんて迷惑なんだろう。死ぬなら一人で死んでほしい。洞窟の奥で。深い森の木陰で。

 「世間に迷惑をかけて死んでやろう。おれが蔑ろにされたぶん」

 そう思って投身する者もいるだろう。

 迷惑な話だ。

 迷惑な……

……だけどそれを考えた私は、口に含んだガパオを無味にも感じた。

 帰宅の足を止めた人々は怒り、死んだ者を憎む。「迷惑をかけてやろう」と考えた死者にしたら狙い通りだ。

 だけど優秀な日本の交通インフラは遅れを取り戻そうと迅速な対応をし、早ければ30分ほどで運転は再開される。

 ぎゅうぎゅうの満員電車はゆっくりだけど流れを回復させ、都市の血流は再び温度を通わせる。

 世界はなおも回り続ける。

 そして残ったのは、人々の疲労。それも眠れば恢復する。朝日は昇り、次の日電車はダイヤ通りに動いている。

 

 死んだ者が生きていたとき、誰も彼(あるいは彼女)に目を向けて立ち止まらなかったように、都市は立ち止まることをやめない。

 悼みはなく、痛みもない。こんあことがあっていいのは、この世の内だけだ。

 

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 夕食を終えて駅に戻ると、電車は遅延しながらも人々を乗せてそれぞれの家へ送りはじめたところだった。