蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

孝行息子

  私は基本的に朝ごはんを食べない。

 本当は食べたいのだけど、朝は急いでいるし、起きてばかりはうっすらと気分が悪くて食べ物が喉を通らず、朝食は苦痛である。

 

 だから、朝ごはんはいらない、と母には言ってある。

 いらない、と言っているにもかかわらず。

 にもかかわらず、母は早起きをして、お茶を淹れ、朝食を用意してくれる。

 社会人の朝は早いので、母には寝ていてほしいし、朝食を用意したところでほとんど食べれないのだから、はっきり言ってほっといてほしい。

 だけど用意をする。

 用意されると、私は急いで支度をし、ネクタイをめちゃくちゃに結び(首輪みたいになる)、髪型をアトムみたいに整え(寝癖よりも悪化しているという説もある)、うっすらと気持ちが悪いのを我慢してなんとかパンみたいな固形物を胃に詰め込もうとするけどやっぱりぜんぜん喉を通らないし時間はどんどん過ぎていくし、腹痛がはじまるので結局電車を一本遅らせて、駅まで走らなければならなくなる。

 そうまでしなければならないので、朝食は食べたくない。お腹が減ったら仕事中に抜け出してコンビニでも行けばいいのだ。

 なんなら私は用意された朝食を食べずに家を出たっていいわけだ。

 

 だけど、それはしない。

 せめて一口は入れる。

 なぜか?

 良心の呵責のせいである。

 

 母は私を想って眠い眼(まなこ)を擦りながら朝食を用意する。私が少しでも一日元気でいられるように、無言の祈りを込めて。

 それを足蹴にするように「いらん」と言われたら、母はどんな気持ちになるだろうか?

 悲しいんじゃないか?

 

 できの悪い息子としては、できるだけ母を悲しませたくない。たとえ朝食の用意が余計なおせっかいだとして、自分で全部できるし好きなようにやらせてほしくても、あえてそれを言わず、母に「息子がまだまだ子どもで甘えんのよ」と思わせてやりたい。

 私がなんでもかんでも一人でできるところを見せると、母の面影はどこか寂しそうなのだ。

 とっくに母を必要としていないことをわからせると、自分の存在意義を失ったかのように、引退して誰にも相手にされなくなった老人のように、その姿は物哀しいのだ。

 

 だから、甘えるふりをする。

 ぜんぜん感謝してなくても「ありがとう」と言う。

 私としては心苦しいが、これでちょっとでも母の気が安らかならいいと思う。

 

 今朝だって、重い水筒を用意され、はっきり言って邪魔以外のなにものでもなかったが、甘んじて鞄に詰めた。重くてうんざりした。

「水分をたくさん摂ると免疫があがってうんぬんかんぬん」と、時間がないのに知っていることをだらだら喋る。

 私はその話を曖昧に頷きながら聞いてやる。

 母はどうやら私が日中ほとんど水分を摂っていないとでも思いこんでいるらしかった。冗談じゃない。砂漠の蛇じゃないんだから。私は人よりも水分を摂る性質で、日中に一リットル以上はペットボトルで飲んでいる。

 だけど、それを言って反抗せず、水筒を鞄に詰めた。温かい紅茶がたっぷり入っていた。

 「いってらっしゃい。気を付けてね」

 「いってきます」

 私は逃げるように家を飛び出す。

 今日だって電車に遅れそうなのだ。

 だけどそれを母には教えない。

 

 後ろ暗い親孝行がここにある。

 私はもう24歳で、なんだってできる。

 

 なにもできない私を見えないフリして走る。