一時期、ほんとうに一時期だけど、雅楽にはまっていたことがある。
YouTubeで聴くだけでなく、「雅楽 ベスト」みたいな「これ聴いとけば間違いない!」というCDも購入し、数日間にわたって一日中聴き続けていたことがある。
雅楽を聴きながら10数万字の小説を書いたし、料理をしたし、昼寝をしたり、とにかく生活の中に雅楽を取り込んでいった。
その結果、どうなったか。
日常動作が緩慢になった。
緩慢というか、なんだろう、とりあえず摺り足で歩いたり、歩く際に手足を左右交互に出すのではなくて、右足を出したら右手を振り、左足を出したら左手を振るといった具合に古典舞台の身振りをするようになった。
笑い方も「くわつはつはつはつ」となり、驚いたときは「よもや」とか「あな」とか言って、くしゃみも「くっさめくっさめ」と口に出すようになった。……。
くだらん狂言だ。
嘘なので読み流してほしい。
↓
なぜ雅楽を聴いていたかというと、もはやわからない。
常軌を逸したかったのだと思う。
「よく聴く音楽は?」と訊かれたときに、
「ん~、平調 越天楽かなぁ」と答えたかっただけかもしれない。
あの頃の私は、ともかく雅楽ばかり聴いていて、ロックバンドには飽き飽きしていたのだろう。
雅楽を聴きまくったが、たとえばイントロだけ聴いて「あ~これは高麗楽 納曾利 破(こまがく なそり は) だね」とはならない。
「この演奏の篳篥(ひちりき)が云々」と語ることはできない。
なぜなら、聴きまくったにもかかわらず、ぜんぜん覚えていないからだ。
なぜ覚えていないのか?
なぜなら、雅楽にはメロディらしきものはあるものの「メロディらしきもの」でしかなく、春風のように曖昧で、「雅(みやび)なことであるよ」という印象だけを残して電光影裏に通り過ぎていくからである。
印象しか残らないのだ。
それも全部「雅なことであるよ」という印象だから、個々の楽曲に特有の感想を抱けない。
歌詞らしきものがあってもそれは古語なのでよくわからず、たぶんアラビア語で歌われても私は気付けないと思う。
そんな音楽のなにが面白いかと言うと、自分でもわからないのだがなんか面白い。
作業中に流していてもまったく気にならないどころかむしろ集中できるので、なんらかの特性の音波が出ているのかもしれない。
演奏形態がウケる。
視点を変えれば、そういうコントにも見える。かしこまって意味不明な音楽をやっているのはシュールだ(失礼)。
パーカッションのタイミングは読めず、拍もたぶん4拍子とかではかれるものではなく、「呼吸」している感じがする。だから聴いてて身体が動き出すということはなくて、壮大な催眠術をかけられているかのような幻想的な気分になってくる。
予感だが、ドラッグをキメて雅楽を聴くとすごくいいんじゃないか。
いちど泥酔したときに雅楽を聴いたのだが、頭がぐるんぐるん回転して覚束なくなり、頭を掻き毟ったり物凄い呼吸をしたり白目を剥いてけん玉をやりたくなったり、さんざんだった。とても楽しかった。
6畳のアパートで深夜、泥酔しながら雅楽を聴いてぶっ飛ぶ体験は今後無いだろうから、経験できてよかった。
なんか雅楽をディスるような内容になってしまったけど、そんなつもりはない。
あの雅な滑稽さがたまらなく好きだし、そのうち演奏会にも参上したいと思ってる(意外と人気でチケットが取れなかった記憶)。