先週の週末に有休を取って、石垣島へ行ってきた。
とても良かった。
天気には半分くらいしか恵まれなかったけど、それでも良かった。
島にいたわずかな時間にも「いいなぁ」と思っていたけど、東京に戻ってから時間が経つにつれてますます「良かったなぁ」としみじみ思う。
旅行翌日の出勤日の朝、目覚めの開口一番「夢?」と言った。
見慣れた自分の部屋の天井に、泊まったホテルの天井を思い出す。
「あー、帰ってきちゃったんだ」
現実に帰ってきて、これから賃金を稼ぐために労働に勤しまなければならない。
厄介な問題は山積みでいちいち自分の無能さに嘆かなくてはならない。次に何をやらかすのか恐れて心臓に負担をかけなければならない。私にとって労働とはそういうものなのだ。
石垣島にいたときはこんなこと考えもしなかった。
青い海に美しい以外の感情を抱かないでいられた。
コーラル・ブルーというのだろうか。
仕事を思って青ざめている私のブルーとは似ても似つかない。
会社の前のスクランブル交差点で待っているとき、石垣タウンの交差点を思い出す。
疫病蔓延して自粛ムードの石垣島に人は少なく、そもそも3月の観光客の少ないシーズンでもあったので、土産市場はあるべきものが無いような不在感で寂れていた。
あの交差点にも、いま誰かが青信号を待っているのだろうか。
交差点の左折のそばにある歩行者用の島を見て、遠浅の海を思い出す。
今日の干潮時刻は何時だろう。
晴れていたら人々がナマコを踏みつけたり捕まえたりしながら、珊瑚の白い骨の上を歩いて、むこうの先まで行くのだろう。
遠浅のときにできる砂浜の島はあの世みたいだ。もし本当に天国があったとしたら、ああいう感じなんだろう。海の向こうで犬たちが走り、祖父が手を振って私を待っているのだろう。
石垣島は田舎だ。
特筆して行くべき場所のほとんどは石垣タウン近辺に集中し、あとは海と深い森に囲まれている。
東京は都会だ。
なんでもある。アスファルトがあり、高層ビルがあり、人々がいる。どこの地域の料理も国の言葉も聞くことができる。なんでもあり、すぐに手に入る。地下鉄を乗りこなせば30分以内に他の国へ行くことだってできるかもしれない。
だけど東京にはなにもない。すべてがあって、すべてが無いのだ。
竹富島で乗った水牛のような、スローでマイペースな時間や、その時間の中でしか見ることのできない景色や価値は、東京にはない。
竹富島の展望台はアパートの屋上みたいな趣で、この建物が東京にあってもただ小汚い古い建物だと、それすらも思いもしないだろうけど、あの展望台からしか見えない景色があったことを忘れない。
恋人と豊かなにおいのする南国の風に汗を乾かしながら、私たちは初めて来たはずなのに、郷愁を覚えた。
茶色い瓦屋根はどこか懐かしくて、知らないはずの遠い昔のどこかの故郷を思い出す。
会社の窓から外を見ると、はたしてどこの屋上も見えない。建物は高すぎるし、色は硬質すぎる。
24時間前の今頃は石垣島で運転をしてビーチへ向かっていたんだな、とか、菓子パンを食べながら、あの店の揚げたてのサーターアンダギーに思いを馳せた。今日も揚げているのだろう。観光客も地元の人も並んでいるのだろう。
その日の仕事を終えて外へ出ると、強めの雨が降っていた。
天気にあまり恵まれなかった石垣旅行だったな。島の雨を思い出す。毎日雨が降っていた。細かい雨のときもあったし、スコールのときもあった。南国は天気が変わりやすいのだ。
今あの島でも雨は簡素な石垣を濡らしているだろうか。海が作った不規則な石を積み上げて作った無二の石垣を強かに湿らせているだろうか。
竹富島の砂でできた道を濡らしているだろうか。砂は流れていくだろうか。水牛も雨を浴びるだろうか。
あの交差点で傘を差している人がいるだろうか。
BEGINの「島人ぬ宝」を聴きながら、私は思う。
私はどれくらい私のことを知っているのだろう。自分の街のこと、地元の海のこと、恋人のこと。
誰よりも知っていることがあるし、なにもわからないこともある。知らない方がいいことだってあるのだろう。
ただ、私は、ここに実在するということにおいてのみ、誰よりも自分を知っている。歌はそう歌っている。
がんばろう。石垣島の思い出を糧に、明日も明後日もがんばろう。水牛だってがんばってたじゃないか。
マイペースに時間を持って、そこから見える景色を楽しめばいい。
宝ってのはそうして見つけるもんだ。