『100日後に死ぬワニ』がついに死んだ。
一週間前の私はワニがどうやって滅ぶのか知る由もなかった。
恋人と「おそらく事故死、でなくとも突然死であることには変わりない」と予想していたけど、おおよそそれは当たったようだ。多くの人がそうであるように。
他にも勝手にいろいろ予想していた。逆張りの私としては普通に交通事故なわけがあるかと裏をかこうともがく。
【ワニの死に方案】
・100日目にこれまでのワニのツイートがすべて削除される
・100日目の投稿は無い(死んでいるから)
・どこかの動物園のワニが実際に殺される
・1コマ目にワニの遺影が持ってこられて、仲間たちは何も語らず喪服で桜並木を歩く。死因は一切触れられない。
・100日目に死なない
・ワニ以外のすべてが死ぬ(実は死後の世界だった)
・時を戻される(バイツァ・ダスト)
私の案が外れて良かった。
↓
ワニがどのように死んでも納得できないだろうなとは思っていたけど、やっぱり納得できなかった。
死ぬことそのものを認めたくないからだ。
だけど、作者の考えた殺し方はあらゆる可能性の中でいちばんきれいだったし、無難だけどもいちばん納得できるものだった。見せ方もよかった。演出の観点で。
↓
Twitter上での最大瞬間風速は徐々に高まり、100日目の投稿は1分以内に「いいね」が1万件を超えていた。
ワニのお話はどうやら書籍化されるらしい。私はこれを買おうと思う。買って、Twitterで読んだ時とどのような心の違いがあるか確かめてみようと思う。
ツイートは1日1話ずつ進み、私たちは一日一日とワニの死に近づくとともにワニに寄り添い、ワニと生活を共にしているかのような愛着を抱いたが、書籍になるとどうなるのだろうか。
おそらく15分足らずで読み終えてしまう100日になってしまうだろうけど、その間にワニ君に愛着を抱くことはできるのだろうか?
また、書籍になるとワニ君と何度でも会うことができ、再生を繰り返すことができるが、それによって「ワニの死」という私たちの体験した出来事はその現実性を薄めやしないだろうか?
なんて書くとあほくさいのは、このお話がフィクションだとわかっているからだけれども、「ワニの死」をリアルタイムで追っているとそれはもはやフィクションの枠を超えて我々の生活に侵入してきたナニカに思えてくるものだ。
そのナニカが失われるのではないか?
書籍化するからだろうか、ワニの話は過去のものから順に作者のホームから消えつつある。
ワニ君に会えなくなることで、「死」の現実性が増す。
だけど、書籍化すればワニ君にいつでも会える。よかったと思う。
ナニカが消えようが死が薄まろうがどうだっていい。またワニ君に会えるなら。
だいぶワニ君たちのこと好きになっちゃってるな。人間は100日で愛することができるのだ。