蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

結局「ヤス」はなんの犯人なのか?

  お世話になっております。蟻迷路です。

 

 犯人はヤスってセリフは、いろんなところで耳にし、目にする。

 ギャグマンガダイイング・メッセージで「犯人はヤス」と書かれていたり、テレビ的な会話の中で「犯人はヤス」なんて聞いたりもする。

 「犯人はヤス」と言うまでがひとつのセットになってギャグと化してしまっている。便利な言葉だ。

 

 しかし、ヤスが犯人であることは弊害も生む。たとえば、推理小説の登場人物に「ヤス」が出てきたら、え、こいつが犯人なのかな、と思ってしまう危険性だ。

 犯人=ヤスという図式が人々の頭の中に自然に組み込まれていて、推理はまずそこからはじまる。つまり、ヤスが犯人であるかどうかの検証から始まるのだ。

 だから途中でヤスが被害者になると嬉しい。よかった、犯人はヤス以外なんだ、って。

 もっとも、ヤスが登場する推理小説を読んだことはないが。少なくともアガサ・クリスティーには登場しない。

 

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 ところで、このヤスが誰なのか、私は知らない。

 必ず元ネタがあるのだ。元ネタなく「犯人はヤス」が広まったとしたらそれは集合無意識的な、原始の細胞記憶みたいで怖い(母体回帰願望的な)。だから元ネタはあるはずだ。

 インターネッツを駆使すればその元ネタを探すのも容易なわけだが、それでは興を削ぐというものだろう。

 私は過程を楽しむタイプなので、予想しようじゃないか。

 いったいヤスはなんの犯人なのか?なぜ流行したのか?

 

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 時代的な背景を考慮に入れたところ、赤塚不二夫あたりの漫画の中に出てくるシーンで「犯人はヤス」が登場すると予想する。藤子不二雄かもしれない。石ノ森章太郎かもしれない。ともかくあのへんの、トキワ荘の時代の漫画に出てくるのだ。

 そうでないとここまで広がらない。

 漫画表現の静寂を表す「し~ん」を考案・導入したのは手塚治虫と聞いたことがある。「犯人はヤス」を考案・導入していてもおかしくない。

 

 では、ヤスとはなんなのか?

 私は真面目に考えているので、真面目な考察をするけど、長大で真面目な大人気推理漫画が昭和の中期にあったとして、その真犯人がヤスで、読んでた読者に衝撃を与えたとする。

 「犯人はヤス!」いやぁ面白い漫画だったなぁ……ってなる。

 たとえば皆さんは友だちに推理小説を薦めるときに「これの犯人はね……」と教えるだろうか?よっぽど嫌いな友だちになら教えるけど、普通なら教えない。

 とすると、「犯人はヤス」が流行った背景に、「ヤスが真犯人である」という事実の可能性は低い。

 なぜなら、まだ「犯人はヤス」が初出される漫画を読んでいない読者も多くいた世の中で「犯人はヤスですよ」ということを流行らせてしまうと、読んでいない読者を購買から遠ざけてしまうからである。

 マジマジの犯人がヤスとして、「犯人はヤス」が流行する世間てなんだよ。ネタバレ中のネタバレじゃないか。

 「へぇ、犯人はヤスなんだ。じゃあ読まなくてもいいや」となっちゃうでしょうが。

 よって、ここから導き出されるひとつの結論として私が提示したいのは、

 

 ヤスは真犯人ではない。

 

 ということである。

 真犯人が別の人間だからこそ、ヤスは作中で偽の本人として利用されたのだ。その際に「犯人はヤス」というセリフが生まれ、名シーンとして今も残るセリフになっているのだろう。

 

 

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 で、実際どうなのか、インターネッツで調べてみた。

 

 

ja.wikipedia.org

 

 

 私の推理はゴリッゴリに外れてました。