深夜ラジオの投書に寄せられていた話である。
昨今のコロナ流行によりマスク需要が増えた一方、供給が不足し、使い捨てマスクが手に入りにくくなった。
街の人たちは布マスクを作ったり、使い捨てマスクにガーゼをあてて使いまわすことで対応していたが、とある山沿いの村ではマスクが金銭以上の価値を持つようになり、ある商店が「マスク3枚と商品交換します」といった張り紙をかけたところ、新品の使い捨てマスクが至る所で貨幣として使用されることとなってしまった。
「お野菜くださいな」
「キャベツはマスク2枚だね」
「お金で支払いでもいいですか?」
「いや、マスクしかダメだ」
なんてアホな話と思われるだろうが、物流の少ない田舎ではそれだけマスクは貴重だったし、マスクの有無で小さな村では感染症予防対策の価値よりもむしろ、「私はコロナを人に伝染さないように気を付けてます」と人々に暗に伝え、要するに出歩くための免罪符として機能している面が大きかった。
その村に住む義という男は例年酷い花粉症で年間を通してマスクを買い集めていたので、コロナ禍が起こった際も家にはむこう数年分のマスクが保管されており、商店街でマスクが貨幣に代わったとき、義は突如マスク富豪として地元の名士たる地位を築き上げた。
金が無くてもマスクを渡せばいくらでも食品を買えた。酒屋でいくらでも酒を飲めた。ついでに女にもモテた。弱い男はすり寄ってきて、「兄貴」とか言い出した。
大して金持ちではなかった義はこれをチャンスと見込み、メルカリやヤフオクを通じてマスクを高額で販売、得た金で医療用のより精度の高いマスクを購入し、それを商店街で運用したのち金をさらに増やして、といったように金とマスクの応酬で富を増やしていった。
村に入るマスクを、商店会会長の父親のコネを使ってほとんど買い上げるといったこともしていたのでマスクの価値はますます高騰し、一般家庭の、使い捨てマスクを4,5日も使っているような家庭は貧困にあえぐこととなった。
一方で義は富を増やした。マスク貧困の家庭にマスクを貸し付け、金利を得た。
貨幣換算でそのとき数百万の富を得てたと言われている。
ある日、義はいつものように商店街の酒屋で高級清酒を昼間からやろうと出かけたら、村人たちの義を見る目が訝しい。睨むと顔をそらし散る。なんだと酒屋に行くと、マスターにどやされた。「あんたは出歩くんじゃねぇ。出て行ってくれ」
どこの店へ行ってもそんな感じで、しかたがなく家へ帰ると老いた母にもどこへ行っていたのか、すぐ部屋に篭って出てくるんじゃないと泣かれた。
「あんたはコロナに罹ってるんだから!」
根も葉もない。どうしてそんなことになったのかわからなかった。
もはや女どころかスズメも寄ってこなかったし、弱い男は義を見ると唾を吐いた。
「どうして義はあんなにマスクを持っているか知ってるかい」
「もともとコロナの病気にかかっていて、それを知っていたからマスクを大量に買っていたのさ」
「あいつ春先からずっと鼻をすすったり咳をしていたものな」
「ほら、義のよく行ってた酒屋の常連の正ヤンがコロナになっちまったろ?義が治りかけのくせに出歩いて感染したんだよ」
「じゃあ正ヤンからまた誰かに伝染ってるんじゃ……」
「発症まで時間かかるからわからんけんど多分な……」
そういうわけで義の一家は迫害を受けて村の「発症源」とされてしまったのだそうだ。どこへ行っても肩身が狭く、義はいよいよ自ずから部屋に篭るようになった。
のだが。
まもなくアベノマスクが各家庭に配布されると村のマスク貨幣も廃れ、義の一時の富豪も潰えたということだ。
ところで正ヤンはコロナでもなんでもなく、痛風で寝込んでいただけだったということだ。